【中国日誌】829日目 23.11.28

言葉が濁ってきた。言葉を濁すや口を濁すなどの辞書的な意味ではない。本当に使う言葉が濁ってきたのである。日本語の美しさとは、ひらがなの部分に現れるという。故に、澄んだ言葉遣いとは、ひらがなの部分で決まると言っても過言ではない。そして、言葉が濁るということは、私の使う言葉のひらがなの部分が不適切になっている、のである。~やれよ、~しろよ、~して、~じゃね、~だろ、で?、分からん、~なってんの?、やれやれ、こわっ、てめえらっ、おまえ、あなた。一部は漢字変換可能であるが、まあ、問題ない。こういった、泥言葉を会話で使うことで、私の発する言葉は全体的に、濁ってしまうのである。注意しなければならない。言葉の濁りは、心の濁り。注意しなければならない。直さなければならない。きれいな言葉で、希釈しなければならない。徐々に、薄めて、透き通った言葉遣いに。省みる心に感謝を。

朝4時に起き、支度と日課。8時に出社。いろいろなイベントを乗り切り、18時に退社。頭を使いすぎたせいか、話過ぎたせいか、頭の中の会話止まらない。盛り上がりすぎている。何度も同じ会話を繰り返す。ご飯食べて、20時に電気を消して横になった。多分、21時半くらいには、眠れたのではないかと、思う。

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