【中国日誌】1156日目 24.10.24
ピアノの音が声と溶け合う。それは、音色なのか、声音なのか。音楽を理解する脳と、声を理解する脳との、領域が、混ざり始めている。ピアノの音が、頭の中で、聴こえていたかと思えば、いつの間にか、人の会話のような、感じに、なっている。頭の中を流れる、それは、音楽なのか、会話なのか。その区別が、その境界が、曖昧になってきている。私たちは、会話を、音楽のように、捉えているのかもしれない。それは、会話を理解するという事に、焦点を当てているのではなく、声音、声の音に、焦点を、当てている。だから、両者は、混ざり合うのである。がやがやと聴こえる、喧噪な街の音色は、音楽なのかもしれない。会話というのも、意味を、取り除けば、音楽に近いものになるのかもしれない。逆に、音楽についても、意味を付与していけば、それは、会話に近いものになるのかもしれない。音と意味があわさって、会話という概念が、私たちの中で、できているのだと考えれば、こうした現象も、納得するというものである。音楽に、感謝を。
朝4時に起き支度と日課。8時に出社。18時半に退社。ご飯食べて、21時半に寝た。
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