【中国日誌】1101日目 24.8.29

私たちは、社会からの承認を、求めているのかもしれない。確かに、このことを考えると、心の奥底に潜む欲求が、うずく。快楽ホルモンを脳内に分泌して、その行動を、とるように、促している。私たちは、一人間として、社会から認められたいのである。よって、本能、もとい心に、従うのなら、社会的位置づけは、社会から認められるような、目標で、あるべきである。社会は、何を、欲しているのだろうか。もちろん、それは、社会として都合のいいものを、欲しているのである。社会の都合とは何か。世界の摂理は、等しく、生存へと力が働く。在る者が、考え、変え、成し遂げ、夢を語るのだから、在る者の、意思に沿う、法則に、社会がなるのは、当たり前、と言えよう。だから、社会は、在り続けたいのである。なら、私たちという、小さな、集団が、社会を、いかにして、在り続けさせるか、が重要となってくる。社会の、役割とは何か。少なくとも、人間中心であることは、間違いない。人間中心から眺めた、世界。もちろん、自然のその他が、強く、複雑に、絡み合っている。しかし、考えているのは、人間である。ゆえに、人間中心であるという点は、不可避である。人々の幸せ、人々の豊かさ、人々の安寧、人々の快楽、そういったものを社会が与えてくれている。社会は、人のために、人を生かすために在る。社会が人を生かさなければ、社会は、滅びる。ゆえに、社会は生かされる人間を、欲しているのである。より多くの私たちが、社会の中で、立派に生かされ続けることが、社会冥利に尽きる、はずだ。私たちの位置づけの前提として、社会に生かされ、そして他者を生かす、そういったものでなければならない。続きはまた後日。共栄共存に感謝を。

朝4時に起き支度と日課。8時に出社。18時に退社。ご飯食べて、21時半過ぎに寝た。

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