【中国日誌】1052日目 24.7.10

受け入れるまでが、恐怖に支配される。受け入れると、恐怖感が、さっと引く。受け入れれなくなると、また、恐怖に襲われる。恐怖とは、逃げれる可能性を、知らせる、アラームのようなものかもしれない。受け入れるとは、逃げないと、決める事。逃げないなら、恐怖は必要なくなるから、さっと退く。恐怖の必要性とは、逃げるという選択肢を、示すことである。恐怖は、逃げてもいい、と知らせてくれているのである。よって、恐怖から、逃れる方法は、このアラームを消すことにある。消す方法は2つ。闘争か逃走か。逃げないと決めるか、逃げれば、アラームは、目的を果たす為、鳴りやむ。逃げれないようなことは、早々に、受け入れれば、気持ちが、晴れる。その、恐怖の未来は、そよ風のようなものである。私たちが、演じる、たったの一場面に過ぎないのである。私たちは、観測者。私たちという主体視点で、世界を観賞しているのである。リアルゆえに、同調、共感、し、スリリングであるが、それもまた、人生というVRの醍醐味である。恐怖という感覚が、味わえなければ、リアリティに欠けるだろう。だから、恐怖とは、人生の主役であると、教えてもくれている。恐怖に感謝を。

朝4時半に起き、8時にスーツケースをもって出社。15時に杭州に戻る為、出発。18時にホテルに戻り、ご飯食べて、マンガを読み、21時半に寝た。

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