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レット・ゲット・イット・アップ -人の気持ちが分からない人々-

人の気持ちが全く分からないという人がいる。本当にそんな人がいるとは、実は思ってもみなかった。なんでこの人はこういう反応をするのだろうと不思議に思ったり、悲しくなったり、腹が立ったり。普通はこんな返しはしないのに、と。親切に何か働きかけても、その気持ちはいっさい汲まずに、それを否定する自分の考えだけを述べる。役立つだろう助言をしてもらっても、その気持ちは全く分からず、反論する。体調が悪そうなので気を配って助けてあげようとすると、自分のことは自分が一番分かってるからほっといてくれと言う(反対に人が調子悪い時はほっておく、自分がそうだから)。その人が喜ぶだろうと何かあげても、その気持ちは一切省みず、好きじゃないからいらないと無碍もない言葉を吐く(ツンデレとかじゃない、もちろん)。それらは、本人には全く悪意がなく、当たり前に自分の考えを口に出しているだけで、その言葉や態度に、こちらが怒ったり、悲しんだりしていることが何故だかわからない。本当にわかっていない。自分は何かしてしまったのかと混乱するか、下手をするとそれすら感じない。こういう人とどう付き合うかは、難しい。それが家族であったりすると、とても辛い。良かれと思ってほんの些細なことでも何かすると、とんでもないダメージがかえってきたりする。そしてこちらがダメージを受けたことを分かってもらおうと説明すると、責められたと解釈されてしまう。一生懸命説明すればするほど、事態は悪化する。そもそもが、こちらの気持ちを分かろうとする意志?脳の回路?がないから。職場においてもしんどい。仕事で少し困っているようなので、やり方を助言すると、自分のやり方の正当性を主張して、聞く耳を持たない。そのやり方がうまくないから助けてあげようとしているのに。承認欲求が強くて、人の気持ちまでおもんばかる余裕がない(気がない?)。そういう人たちは、自分は正しくて、こちらが間違っているという態度に出てくる。気持ちを運んであげても、それを受け取るという考えが端からなく、それができない人たちに、腹を立てたり、ダメージを受けたりするのは、虚しいだけ。けっきょく、最低限のかかわりだけで、何もしてあげないのが一番いいということになってしまう。職場なら、それでもなんとかなる。ただ、家庭では、そうもいかない。どういうわけか、そういう人が自分のまわりに出現するのは、どういう意味があるのだろう。疲弊したあげく、なるべく当たり障りないように暮らす術を身に付けるためか。それは不毛だ。もしかして、そうであって欲しくはないのだけれど、自分もそういうところがあるとう神の啓示なのだろうか。それは、恐ろしい。そういう部分に自分で気づけるのだろうか。少なくとも、自分のまわりにいるその手の人々は、そういう自分のことは、全く分かっていないのだから。生きていくってのは、本当に難しいのお。生きてるってだけで解決しきれない問題がぷつぷつと生じてきて。まあ、そいつが生きてる醍醐味なんだろうけどねえ。

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