神と我
意識が宿ったものが「神」になる。もちろん自分も神。人は望んだことが現実になるじゃない(「思考は現実化する」ナポレオン・ヒルな)。意識はその宿ったものの力が使えるわけ。大自然に宿れば、その力が使える。風神、雷神。古い神社は、ご神体が自然そのものだったりする。那智の滝なんかその代表格。自然の力が参拝者を癒す。一方、ご神体として鏡が置かれている神社も多い。鏡に映るのは「我」(自分自身)。我がすなわち神。我に誓うのが祈り。「既に叶っている」と我に宣言する、我の潜在意識にそのように認識させる。それが、祈り。なのではないかなと思う。よく。「かがみ」から「我(が)」を取れば「かみ」だというけれど、表層の自分を除けて、内面の潜在意識が表出すれば「神」なのではないか。そんなことを考える。