3作目 あの夏、いちばん静かな海。「キタノブルー」のはじまり。
平成4年(1991年)公開
夏なのになぜか冬の季節を感じるシュールな作品。
聴覚障害のハンディキャップを持つ若いカップルの「サーフィン」を通したヒューマンドラマ。
言葉でなく演者の表情や音楽で表現する演出。サーフィン大会に出場するもアナウンスが聞き取れないため棄権になったシーンはかなり印象に残る。北野監督は監督業のみに徹した。
映画は総合的なアート。
海外のあるインタビューで北野監督は「映画はあらゆる物を吸収する。音楽も絵画も私的な言葉も表現ができるもの、自分の中では映画が総合的なアートである」。
キタノブルー×久石音楽。
北野映画の代名詞の「キタノブルー」について監督は次のように語る。
「キタノブルーと言われたのがこの映画が第一歩かな~グレーとかブルーを助監督が走り(探す)しまくり、最後にコンクリートだらけの水槽まで、それを360度歩かせればずっーとコンクリートだって。その手法を黒沢明監督がすでにやっていたみたい。グレーに近いブルーを求めたのはこの作品から意識した」
そして北野映画に欠かせない音楽を森プロデューサーの紹介でジブリ映画でおなじみの久石譲氏が音楽監督になり、キタノブルーと言われた映像にミニマムで心地よい映画音楽が掛け算され初期の北野作品が確立された。そして同じ撮影法を行った黒沢明監督からも高評価をしていた。しかしあるシーンを巡りやや意見の相違もあった。
北野武×黒澤明の対談とその後。
そのやり取りは 平成6年(1993年)の春に黒沢明監督の御殿場にある別荘で行われた文芸春秋での対談「映画は粋でなければ」での事。
黒澤「ビートさんの作品、全部好きでね。面白いですよ。何故かっていうとね、余計な説明がないでしょ。あれがいいね」。
北野「映画は“粋”さだと思うんですよね。下品なカットってあるでしょ?」
黒澤「“下品な”っていう表現、面白いけどね。つなぎ目なんだよね、ホントに映画が宿るところは。カットとカットのつなぎ目であり、シーンとシーンのつなぎ目であり、シークエンスとシークエンスのつなぎ目なんだよね。あのサーフィンの話(「あの夏、いちばん静かな海」のこと)、あれもとても面白かった」
北野「あれは、途中でスタミナ切れしちゃったんですよ」
黒澤「ただ、お終いはわかんなかったんだよね。何してるのかさ、あの女の子が。あれは…そんなこと言うと失礼だけど…いらなかったね」
北野「最後のシーンで泣いてほしかったんですよ。でも、全然泣かないんですよ。そしたら助監督が怒っちゃって、『役者だろ、お前。出来んだろ!』って言ったら、そしたらマネージャーが向こうに連れてったんです。そしたら、向こうで泣いてるんですよ。だから、カメラ持って走っていって(笑)。酷いことしてるな、って(笑)」
この対談後に映画監督北野武 国際シンポジウム&レトロスペクティヴにて蓮見氏から北野監督へ黒沢監督は「いらなかったね~」に対する本当の思いを教えて欲しいとの質問に対して
北野「サービスショットでグリコのおまけみたなシーン、あのシーンは好きなんですけどね」
蓮見「何言ってやがんだ~という感じだったですか(笑)」
北野「年の割にデカいし肉は食うし、酒も飲むし((笑))」とおどけた返答をした。
あの夏一番静かな海 観て欲しい7つポイント!
遠目からサーフィン板をもって歩くシーンは北野流の味付け
主人公の2人しげる(真木蔵人)と貴子(大島弘子)のセリフがない分、表情と風景、音楽が一体感を表す。
ごみ収集作業員役の河原さぶの存在感
登場するサーファーの一般人感がドキュメンタリーな雰囲気を醸し出す。
ドラマ たけしくん、ハイ!のたけし役の小磯勝弥のキャスティング
サーフィン大会申込書記入の北野監督的ボケ演出。氏名:米倉茂平 住所:4400111ツカサのウィークマンション 所属クラブ:白百合会 生年月日:大正2年2月30日83歳 身長420センチ・体重2キロ・血液型E型 保護者氏名:ゴルバチョフ 大会への意気込み やる
ラストシーン 黒沢監督が「あれは入らなかった」北野監督「サービスショット」についての答え合わせ。
監督の今作についての感想は「3作目で後で観るとストーリー的なミスをおかしていたが、ミスを補ういいシーンがあるかな~と思う」
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