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76 悩める人間
前回、宗教について考えた。
継続する。
漸進法で話を進める。
1。宗教が世界を変えて行くということを言及した。
現在は世俗化の時代と言われるのだが、神を信ずる人は増えて続けている。例えばロシア正教会、イスラム世界での原理主義の信奉者に顕著だ。さらに新興の宗教も生まれている。
2。神を信じることは個人の権利であるかもしれないのだが、なんで神の存在を認めるのだ。ありもしないと考えると、信じる気にはなれない。
3。高校生の時に原宿の教会にいた。孤独であった。私のそばに牧師が近づき。「お助けしましょうか」。沈黙の間が流れて、「結構です」。
その後、数十年忙しく過ごし、私の中では、神は消えていた。
しかし、このnoteでも述べたのだが、信じている。
4。なんでそうなったのだ?
5。それは、外部からの教えではない。存在を感じる様になっただけだ。
1人称の世界で、それを感じる。どの宗教という訳でもない。組織に加わることも考えた事がない。
6。それは宗教の個人化を語っている。宗教内部での個人化なのか、宗教からの個人化なのか、問うてみたい。
7。もちろん、後者である。
前者の宗教内での個人化は宗教的普遍主義に通じて、真理を翳して活性化し、原理主義へ向かう傾向がある。
私は宗教団体に属していないが神は信じている。とりも直さず、宗教からの個人化であり、自分にとって、それは個人的な財産と思っている。
8。宗教からの個人化はコスモポリタン的宗教感に思えるのだが。
9。我々のジェネレーションは「真理より平和を」というプラグマティズム的なコスモポリタンが多い。私もそうなのだ。そんな態度が宗教感にも反映しているのかもしれない。しかし少数派である。
10。その少数意見は通用するのか?そうなら世界平和も見えてくるのではないだろうか!
11。「真理より平和を」が実現するか否か。実現する可能性は皆無ではないと思うのだが、全く不透明である。
逆に、宗教を取り巻く文明同士が衝突し、カオスが続くことは経験則から推察できる。
宗教の話は、尽きない様です。