# 71 悩める人間
一昔前になろうか、官僚の天下りと退職金がクローズアップされ、日本の戦後体勢の硬直化は顕著になっていた。不公平感が充満していた。そこに現れた郵政民営化は国民の支持を受けた。小さな政府を掲げて、「自民党をぶっ壊す」「聖域なき構造改革」、「改革なくして成長なし」という主張は新鮮であった。これは新自由主義であり、得体が知れないままに、国民の心を鷲掴みにした。平等と民主主義をもたらすと皆、期待したのだ。
しかし、何かしら違和感を感じ始めた、新自由主義の本当の姿が見えてきたのだ。
今回は民主主義や平等、新自由主義、グローバリズムを取り上げてみた。
漸進法で進めてゆく。
1。新自由主義を掲げた政策は我々の医療に多大な影響をもたらした。小さな政府を掲げ、その為に我慢を強いた。診療報酬は引き下げられ、病院は軒並み経営不振に陥った。特に救急医療は打撃を被り、病人を運ぶ救急車は搬送先が見つからず、サイレンだけが鳴り響いていた。
まさに皆保険制度崩壊の危機が迫っていたのだ。
我々、医療関係者はそんな政策に不満を募らせた。
新自由主義を見直すべきだ。これは国民の幸福につながらない!
2。一部の医療関係者の話や、漠然とした感覚で議論しても客観性は得られない。新自由主義を批判するのなら確固たる論拠を示すべきだ。
3。そんな最中に、米ハーバード大学ケネディ行政大学院教授、ダニ・ロドリック氏は世界には「政治経済のトリレンマ」があると提した。国家主義、民主主義、ハイパーグローバリゼーション、その内、2つは同時に実現できるが、3つを同時に実現はできないというものである。
4。意味するところが分かりにくい。
5。国家主義とハイパーグローバリゼーション*の同時実現は新自由主義の元に成り立つのだが、民主主義を無視する構造なのだ。小さな政府は強引に福祉政策、地球温暖化政策等を切り捨てる。民間活力の活用と耳障りの良い言葉を並べるが、政府は金を出さないということでもある。恩恵はグローバル企業に集中して、国民はなおざりにされる。国は国民に我慢を強いたが、それはグローバル企業の為である。
教授はハイパーグローバリゼーションを抑制して、これを国家の目的とするのではなくて、手段とすべきだと述べている。国家主義と民主主義を優先して、ハイパーグローバリゼーションを片隅に置くべきだというわけだ。
6。哲学者の言うことは分かりにくい。現実の政治経済や社会ではどの様に反映されているのか?また、過去を振り返って見ると似たような社会現象があったのだろうか?
7。19世紀から20世紀にかけて、産業革命と共にハイパーグローバリゼーションは広がりを見せ、世界の経済は活況を呈した。
しかし、インフレと景気後退の同時進行に陥ると、世界は経済のブロック化に舵を切った。最終的には、2回の世界大戦に突入した訳だ。戦後、世界経済の低迷期が続く。
1971年、米国が一方的に金・ドル交換を停止した。このニクソン・ショックで金本位制は終わった。ここを起点として、資本移動が自由化され、国境を越えるマネーにけん引され貿易も活発になった。第2次ハイパーグローバリゼーションの到来である。しかしながら、これにより国家間の経済格差は広がり、格差社会は深刻化している。
7。格差問題を認めない考えもある。世界経済が活性化するのならそれを受け入れるべきではないのか?
8。平等やフェアネスの理念に立つ民主主義を考えると過度な格差社会を容認するわけにはいかない。
一方で、民主主義とハイパーグローバリゼーションを同時に実現すれば良いと言う論理も成り立つのではないか?
9。だが、その場合、国家はどうなる?国家主義は捨て去ることになるのだ。それは非現実的なイデアの世界に見えるが、欧州連合はそれを掲げて成立している。
しかし、国家主義と民主主義の立場から、英国国民は欧州連合離脱という決断を下した。ブレクジットと言われる歴史の転換点であつた。もはや英国民は格差の広がりを許せなかったのだ。国家が格差社会をコントロールしなくては国家の意味がない、ということなのだ。
これは、post-コロナで確信に変わる。医療、公衆衛生に国が積極的に関与しなくてはならないという共通認識が生まれた。国家と民主主義は車の両輪であるという事なのだ。
10。いや違う、グローバル企業の製薬会社がワクチン開発を競った結果が多くの命を救ったのだ。
12。反対する。賢くグローバリゼーションを利用した典型が日本であった。罹患すると10名に一人が亡くなるようなコロナ禍の初期、日本国は多大な国庫金を出して、ワクチンを購入した。日本のコロナによる犠牲者は他の先進国と比べると桁がちがう。国家が国民の大切な命を救ったのである。
これが、国家主義と民主主義を優先して、ハイパーグローバリゼーションを片隅に置くということなのだ。
13。ハイパーグローバリゼーションは手強い。粘着性が強く、国家主義とも民主主義とも容易に合体結合する。
国家主義と合体するとグローバル企業は栄えるのだが、国民の生活は蔑ろにされ、民主主義は捨て去られる。
民主主義と合体すると欧州連合に見られる様に国家が弱体化する。国の力が弱体化していて、コロナ禍では犠牲者の増加に歯止めがかからなかった。
日本は国境を超えてグローバルに広がった感染症、コロナ禍を国家主義と民主主義の同時実現でうまく乗りきった。
しかしながら、津波の様に押し寄せるグローバリズムは手を変え品を変えて国家主義、民主主義に次々と課題を提示するのだろう。これに適切に対応し、コントロールするのは口で言うゆうほど易しいことではない。GDPが大きければ解決する様な単純な問題でないことがコロナ禍で証明された。
コロナにより、我々は少し賢くなっているのかもしれません。
ハイパーグローバリゼーション:ロドリック教授の定義によれば、1990年代後半から2000年代初頭まで続いた、急激に進んだ「特定のグローバリゼーション」のこと。政治、経済、社会といったあらゆる領域におけるグローバル化。関税などのみならず銀行規制や知的財産権などに関する各国ルールの障壁を下げ、国際ビジネスの取引コストの引き下げが意図された。