ゴッホ展
私は長年保育士を仕事としてきたにも関わらず、絵を描くことが苦手だ。
子どもが伸び伸びと絵を描くところを見るのは好きだったけど、自分がいざ描くとなるとなかなか手が動かなくなってしまう。
上手く描きたいのに描けないという、一般的な上手さを追い求めてしまっていたからかも知れない。
もちろん絵に興味もあまり持てず、名画を観に美術館に行く生活とは無縁だと思っていた。
けれどここ最近、絵を観ることが好きになった。
きっかけは、初めてひとり旅をした四国にある
大塚国際美術館。
(名字が大塚なので少し縁を感じた。笑)
ひとり旅で出会った人にオススメされ、あまり乗り気ではなかったもののチラッと行ってみようというくらいのつもりだった。
世界の名画のレプリカがかなりの数展示されていて、もちろんその中には皆が一度は聞いたことがあるであろうゴッホやモネ、ピカソ等の絵もずらりと並んでいた。
観光ついでという気持ちだったので1時間くらいでサクッと回ろうと思っていたのだが、結局4~5時間は滞在していたと思う。
レプリカであろうとも、絵の中に吸い込まれるような魅力的な絵がたくさんあったのだ。
特に私は風景画に惹かれた。
自分がその風景の中にいるような、とても心地よい不思議な感覚になって、しばらく絵の前から動けなくなる瞬間がたくさんあった。
特に、ゴッホ、モネ、ターナー、クリムトの絵に惹かれた。
昔の時代や生活を想像しながら見たり、描いた人がどんな気持ちで描いたかを想像したり、そんな事に思いを馳せているとあっという間に時間が経っていた。
自分でもこんなに絵を観ることを楽しめるとは思わなかったので、とても驚いた。
絵のことを何も知らなくても、絵画や画家に関する知識がなくてもこんなに楽しめるのか!と。
そしてちょうど四国旅行から帰り、お土産を届けに実家に帰省した時。
何とナショナルギャラリー展の無料チケットが実家にあったのだ…!
これは行くしかない!!となり、行ってきた。
目玉はゴッホの『ひまわり』
大塚国際美術館では全部のひまわりが並んで観られたのが楽しかったが、ナショナルギャラリー展では、最後のフロアに本物の1つのひまわりが厳かに飾られていた。
そこからはとても力強いエネルギーと生命力を
感じた。
近くで見ると筆跡や絵の具の乗り方、凹凸、
とてもとても迫力があった。
(語彙力のなさ…笑)
近くで見たり、遠くから見たり、ひまわりの絵の前にこれまたかなりの時間滞在していた気がする。
そんなこんなで、絵を観ることの楽しさを感じられるようになった私は、大好きなアーティストである大橋トリオがゴッホの絵の曲を作ったとの知らせもあり
『ゴッホ展 響きあう魂
フィレーネとフィンセント』へ足を運んだ。
今回はゴッホをメインに、ゴッホという画家が世に知らされる働きかけをし続けたフィレーネという女性とゴッホの画家としての歴史を絵と共に追っていくという感じだった。
ゴッホという画家については、かなりドラマチックな生涯を生きた画家という大雑把なストーリーしか知らなかったが、今回のゴッホ展ではなぜゴッホがこんなにもたくさんの人を惹きつけるのか、有名になったのか、という理由が少し分かった気がした。
もちろんゴッホが描いた絵の魅力や素晴らしさが大前提にあるのだろうけど、
激動の人生を生き、その上生きている間に人々にあまり評価されなかった悲劇性がドラマチック!と人気を煽る部分もあるのかも知れない。
私自身も、ゴッホの人生のストーリーに魅力を感じない訳ではないけど
私はゴッホの心の美しさや繊細さにとても惹かれた。
今回、大橋トリオの音楽を聴けるのもあって、音声ガイドを聴きながら回ったのだが、音声ガイドを聴いたのは大正解。
素敵な音楽が聴けたのはもちろんだけど、ゴッホが色んな人に宛てて書いた手紙の内容や、絵の説明文にはないストーリーも知れてとても楽しかった。
ゴッホの絵と、ゴッホの人生の歴史を照らし合わせて絵を見ていくと、何だか涙が出てきてしまう瞬間も多々。
と言っても悲しい涙ではなく、何だか心が震える涙だった。(説明が難しい…)
どんな気持ちでこの絵を描いていたんだろう。
絵を見ていると、その時のゴッホの喜びや悲しみ、人々を愛する眼差し、人々の生活を慈しむ気持ち、自然への畏敬の念と愛、絶望、光。
ゴッホの様々な気持ちが自分の中に飛び込んでくるようだった。
そして、ゴッホには画商である弟のテオがいたらしいのだけど、そのテオとの関係も素晴らしくて涙が出た。
テオはゴッホという人をとても理解していたし、誰よりも理解しようと努め、才能を信じ、支え続けてきた。
その2人の関係性とストーリーがとても素敵だったし、ゴッホがテオに宛てて書いた手紙は、自分の心をさらけ出せる場所としてセラピーの効果もあったんじゃないかと思う。
手紙はテオへの愛にも溢れていた。
そして今回のゴッホ展の目玉とされていた
『糸杉と星の見える道』
とても素敵だった。
大橋トリオのLampを流しながら観た。
(当日の会場は平日にも関わらず結構人がいたのだけど、音声ガイドのヘッドホンを付けていたのもあってか、私は割と絵と私の時間、という集中した感覚になれた)
関係が悪くなってしまったゴーギャンに見せるつもりだったのかな。
ゴーギャンにこの作品について説明した手紙を出そうとしていた形跡もあったという。
ゴッホが最後まで手紙を書き終えて、もしもゴーギャンの元に届けられていたら2人の関係は…
と想像してしまう。
ちなみに私も手紙が好きなので、ゴッホが手紙をたくさん書いていた人だというのも知れて嬉しかったな。
糸杉の存在感と三日月と星の光。
麦畑とくねった道。
馬車に乗った2人はどこへ向かっているんだろう。
馬車の男女はゴッホとゴッホの愛した人かな。
手前の2人組の男の人達は、ゴッホとゴーギャンなのかな。
テオかな。
一筆一筆の跡に、ゴッホの命を感じた。
そして何より、空の色と光のコントラストには見惚れてしまった。
全部全部、とてもきれいな色で。
ゴッホと言ったら黄色というイメージで、ひまわりやレモンの黄色も好きだけれど、
この空のコントラストと糸杉の重厚な色、麦畑の輝く色もとても魅力的だ。
ゴッホは本当に純粋で美しい心を持った、愛に溢れていた人なんだろう。
とても繊細が故に、私には想像し難いくらいの生きづらさもたくさんあっただろうけど、夢中で絵を描いていた時はきっと本当の自分でいられる感覚や幸せな時間もたくさんあったと思う。
そうであったと願いたい。
ゴッホは人々の光の存在。
テオも光。テオの妻も息子も。
そのゴッホの素晴らしさを深く汲み取り、残そうと命の限りを尽くしたフィレーネもまた、光の人だと感じた。
13時前に入館したものの、気付けば閉館時間。
もっと早い時間指定で予約すれば良かった。
急いでお土産ゾーンへ。笑
迷いに迷ったけど糸杉の可愛いマグカップとひまわりの素敵な缶に入ったお菓子、ポストカード2枚をゲット。
写真の可愛いひまわりの缶は、姉へプレゼントしたくなったので姉用も買った。
(まだ渡せてないのだけど、写真を見せたら、めっちゃかわいい!と喜んでいたので渡すのが楽しみ*)
私は最近、毎朝珈琲を飲む習慣がついてきたので、ゴッホに思いを馳せながら珈琲を飲めるのもまた幸せ。
ポストカードは壁に飾り、
ひまわりの缶はベッドサイドのライト下へ。
ライトを付けるとキラキラしてとても優しい光を放ってくれている。
どれもお気に入り。
生きている間にあまり評価されなかったゴッホは可哀想なのだろうか。
大好きな麦畑で自ら命を絶とうとしたゴッホは不幸だったのだろうか。
弟テオに見守られながら息を引き取る瞬間、ゴッホは幸せだっただろうか。
それはゴッホにしか分からない。
私が強く強く思ったのは、
この美しく素晴らしい心を持った画家であるゴッホの絵が、何百年という時間、こうやってたくさんの人々の光になっている。
その事実がとてもとても嬉しく、素晴らしいということ。
ゴッホがたくさんの光となる絵を世の中に生み出してくれたことがとても尊いということ。
ゴッホに詳しい人からしたら、私が今回知ることができたゴッホはきっとほんの一部分だけなのだろう。
けれど、私はゴッホという画家を少しでも知ることが出来て本当に良かったと思う。
そして、これからも少しずつゴッホの事を知っていきたいと思う。
1月まで開催の三菱美術館で開催の印象派・光の系譜にも行ってみたいな。
ゴッホの事をもっと知れるかも知れないし、ゴーギャンやモネのことも知りたい。
文を読み返してみると自分の語彙力のなさに笑ってしまうが、これも私の人生のストーリーの1つの記憶としてつらつらと。笑
もしもこの文を最後まで読んで下さった方がいたら、とても感謝です。
あなたも光。私も光。
本当は皆
光になれる、光の存在なんだろな。
世の中から光が消えないよう、皆で光を灯して照らし合っていけたら素敵だな。
強い光を放つ人からは自分も光をもらい、
光が消えそうな人がいたら自分の光で照らす。
そんな世界にしたいし、
そんな世界に生きていきたいなぁ。
ありがとうゴッホ。
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