SNSで悩み発信に勝手にコメントを残しました。

すると何度かやり取りさせていただいたのだが、返信ではなく発信にて優しさを求められても困ると記されていました。

私はその方の悩みになっている方が発達障がい者というの聞いて

・そういう能力、機能を持ち合わせないいからフォローとなる工夫の案を発達障がい者に提案してできないことへのフォローで自身の悩みを解消。

・会社の上の方に相談し、自身の仕事場から外してもらうか、発達障がい者に辞めてもらうよう促すなど、発達障がい者との労働を避ける。

・会社にそのような理解がない場合、自身が転職する。
といくつか案を出しました。

このどれにも優しさではなく、発達障がい者への対策か、発達障がい者との労働を避けるという状況に合わせての対処法を述べただけなのでその発信に困惑しました。

みなさん、悩みはありますか?

生活を営む上で、対策や、改善を常に求められ、悩みが絶えないと思います。
人間は解決することより発展することの方が速いです。
だから常に解決すべき問題が有り続けます。
それに人間は大多数が凡人です。
才能ある方も欠陥はあります。
運動能力が高くても相手に伝えてる能力は低くてコーチに向いていないスポーツ選手などのことです。
このように人間は周りに尊敬される方にも当然欠陥はあります。

しかし、世間は一つのことが秀でていると秀でたところだけで評価してしまいがちです。
能力値はパロメータです。
総括して初めて評価としてまともに機能します。

人間の中には当然生き抜くことに不向きな方も当然います。
多趣味になるのも才能です。
優しさも才能です。
性格的な才能か、能力的な才能かはわかりませんが、向き不向きが人によって当然違います。
人間の能力は生まれ持ってのものです。
経験値による慣れでできることが増えるのは成長ではなく慣れです。
本来元々備わっていた能力が慣れによってできるようになったということです。

その変えることのできない能力値の中で人間は各々今まで生き抜いています。
なので、特別生きる目的がなくとも、趣味がなくとも一般的常識の尺度で生活できていなくてもあなたはあなたの年齢分あなたの能力値の中で生き抜いてこれたんです。
それは誇りです。
立派です。
なので、誕生日ごとでも3ヶ月ごとでも1日ごとでもその日に生きてる時点で誇りに思って良いと思います。
スポーツ選手の引退年齢はバラバラです。
しかし30歳で引退しようが、40歳で引退しようが非難されることではないです。
みなさんの各々の年齢分生きたことはそれぞれ功績なのです。
他者にわざわざ向ける必要のない誇りですが、気に病むことではないです。

心で保っていてください。

私は生きることをやめることに否定的ではないです。一つの選択肢でしかないと思っています。

どうしても生きることを続けることが無理と判断すれば生きることをその時点で辞めるのもその人の自由意志だと思います。

周りが悲しむからと言う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、その他者からの思いを背負えるかどうかでさえ才能なのです。
周りは生きることをやめた方で悲しむでしょう。それは悲しんで良いんです。
でもその選択を他者が否定する権限はないです。

道徳的に長生きや生きることを善しとする考えがありますが、それは権力を持った地位の高い人間が自身が長生きしたいと思う気持ちを周りから否定されないための言い訳でしかありません。
宗教は身勝手な神による畏怖による支配です。それに近しい考え方でしょう。
しかし、意味を特に説明されない常識は常識ではありません。習慣です。

常識はその場に置かれた状況に左右されるものです。

なので、年老うことも悲しまないでほしいです。

年齢分のシワもシミも白髪も体力の低下もあなたがそれだけ生きてきた功績です。
別に自分自身を好きにならなくていいですが、シワや白髪などの功績は愛でてやっても良いのでは?




























うっるさっ。


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