#8:人は何故、異動情報を片手にお酒🍶を何杯も呑めるのか。
会計年度が3月期末の組織の多くは、ちょうど今頃、組織改編とともに大幅な定期異動が出ていたりするのではないだろうか。毎年この時期に一喜一憂する人がいて、それを無風状態で眺めていたり、自分が渦中に巻き込まれて嬉しかったり淋しかったり複雑な気持ちだったりを抱えつつ、新天地に向けた準備を淡々と進める、さながら春の嵐のような感じだったりする。
誰もが毎年、異動の対象になるということも稀なので、今年はさすがに関係ないなと思うと、もしくは内示を受けて自分の異動ナシが判明すると、途端に野次馬側にまわる。勿論、私もご多分に漏れず、この異動情報は大好物である。下世話な趣味だとは思うし、ゴシップを語り合うことに意義なんて無論ないのだが、何故だかやめられない。どうして、こんな身体になってしまったのか、もうすぐある発表を待ちつつ、少し振り返ってみたい。
□異動による影響
まずは異動が他人事じゃない時から考えたい。遡ると、恐らく新人の時は全く人の異動に興味などなかった。それは異動が意味する影響力の大きさが、よく分からなかったからだ。その後に何年もかけ、何度か自ら異動辞令があり身をもって経験した後、じわじわとその不条理さと影響の大きさを感じるようになったと思う。
会社や組織にとって、異動が意味するものは違うと思う。大して影響がないところもあるし、でも場所によっては、その後数年の職場での運命を決めてしまう、そんな影響を持つことすらある。しかも異動辞令を受け取る、大勢のサラリーマンはそれを選べない。完全に運次第という不条理。
□異動しない時
自分が無風だから、後は、他人の不幸は蜜の味という高見の見物かというと、一方でそれだけではない。その側面も否めないのだが、むしろそういう他人の不幸な異動に同情をよせる面より、注目するのは会社全体が、そこまで行かなくても部署全体や同期全体がざわざわする異動が少なからずある。抜擢人事だったり、新しい分野の新設部署に伴う会社の未来を担う異動だったり、はたまた海外駐在だったり。他人の活躍を、もしくは活躍する予兆を感じさせる異動について、必ずしも心穏やかに見れない場合がある。
「すごいねぇ。でもあの人なら活躍するね」
なんて、へらへら笑ってみるが声は乾いてる。酒が進むにつれて、よせばいいのに自分と重ねてみて「どこで分岐点があったのだろうか」、「いや、そもそも出発点が違ってたな」とか、ぐるぐる思い巡らせたりもしながら、最後は、やるせなくて酒を呑み干す。
そして誰かと一緒に飲んでいる場合は、そこから組織への不満や他愛のない噂話、日頃の愚痴や上司の悪口まで行くと、もう帰り時だ。しかし、その鬱憤を存分に吐き出したら、また次の日からは仕事に打ち込めるというものだ。(いや、二日酔いで頭はまだぐるぐるしている…)
□今流行りのジョブ型の場合
少し時事的な要素を取り入れると、今までの異動の前提は、日系企業に多い総合職型、いわゆるメンバー型の雇用の場合だ。職種や地域を越えた異動を会社が辞令として出せる規則となっており、それらを定期的にジョブローテーションすることが想定されている。一方で、ここ最近盛んに語られる「ジョブ型」の場合は、原則的は職種の転換は想定されない。担当地域を跨ぐこともあり得るが、「ジョブ型」の所以である「ジョブディスクリプション」に担当業務と勤務地がセットで記載されていることが多い。
そうすると日本の勤務体系が「ジョブ型」に変遷したら、これまでの定期異動情報を肴に、酒を酌み交わすあの情景はなくなるのだろうか。
いや、それは恐らく心配することはないと思う。1年未満であるが、完全な「ジョブ型」の世界(マレーシア)で働いた経験からすると、メンバー型の定期異動と同じくらい、いや、頻度はもっと多く、ジョブ型でも酒の肴となるものがある。
それは、異動の代わりの退職だ。ジョブ型は、自分のキャリアアップのため、もしくは何らかの事情で今の自らのジョブで働けなくなったら社内の異動ではなく、他社に転職することになる。辞める理由は人それぞれだが、退職連絡は頻繁にあり、その度に現地でも噂話に花が咲いていた。「なぜ辞めた?上司と揉めた?x社に良いポジションがあったみたい、」などなど。生憎、マレーシアの人々とはそれほど飲みに行かなかったが、これを日本に当てはめると完全に酒の肴になるだろう。だからご心配なく。(誰も心配してない?)
ところで、ここまで散々適当なことを書いてきた私だが、今年の定期異動情報は全く興味の範疇外である。なぜなら、転職後半年も経っていないため、異動情報を見てもひとつもどこの誰かが分からず、全く興味を持ちようがない‥。今のところ、これが転職の唯一の弊害か。(しかもジョブ型雇用やし…。まあそれはええか)
長文(与太話)を、お読みいただきありがとうございます😢