#26:家庭のDX(を考えてみた)
以前の記事で、DXという言葉を成仏させるために(自分の中で消化するために)、家庭のDXを考える必要があるという結論にまで至る経緯を書いた。(無理矢理な感じは、ご愛嬌)
あれから少しDXを反芻してると、うちの会社の上司(CIO的な人)は、「DX」という言葉を使わないことを改めて思い出した。代わりに、「業務改革によるデジタル化」と言っている。確かにDXよりも、シンプルにその結果が分かりやすい。業務改革でデジタル化される(アナログ業務がなくなる)状態が目指すべきゴールということだ。
「IT化」に限りなく近い気もするが、業務にはシステムを利用しても(IT化しても)アナログなものもある。例えば紙の書類を画像で読み込んでいながら、その画像を元に人がデータ入力やチェックしてるようなアナログ業務がある。その業務をデジタル化するというのは、最初に目指すべきマイルストーンかもしれない。
少し脱線したが、気を取り直して本題に移る。(長いのでお時間あればどうぞ)
□事例から紐解く家庭のDX
残念ながらゼロベースで考えられるほどの逞しい想像力はないので、まずは既にDXされた事例から、家庭のDXに繋がるところを見出したい。
上記のリンクに20社分の事例がある。その中で関係ありそうなのはメルカリとSpotifyくらい。他の事例は、家庭(我が家)への影響はなし。また厳密にはSpotifyではなくAmazon Musicを使っているが、その辺りは類似でOKとした。
●メルカリ
ある時から、奥さんがいらなくなったものを何でもメルカリで売るようになった。(システム会社に勤めていても)ITへの抵抗感が半端ない奥さんが、メルカリのアプリでスイスイ出品する様は、まさにDXとしか呼べない。
副次的に我が家では、後にメルカリで売れそうなものは、比較的買いやすくなった。奥さんの行動変容と家族の価値観に変動をもたらした家庭のDX第1号。
●Spotify(Amazon Music)
いわゆる定額制音楽サービス。うちでは音楽はスマートスピーカー(Alexa)で聞くものであり、10歳の息子はCDもそれ以前の媒体もほぼ知らない。Alexaに話しかければ新曲がかかるし、父親のスマホ内に自分用(息子用)のプレイリストがあって、車ではそれをbluetooth接続のカーステレオに流しながら熱唱する。しかもスマホに歌詞が表示される。カラオケいらず。
自分の子供時代と比べてると、音楽体験が完全にDXされている。
なるほど。ほんの二つの事例だけでも、どれだけDXが我々の生活によいことをもたらすのか、また家庭に対しては既にDXが起きていることに私が無意識だっただけなのかがよく分かった。
□生活を見渡す
事例からヒントをもらったので、少し自分の頭でも考えてみる。決済サービス(○○Pay、交通系など)、ECサイト(Amazon、楽天)、映像系(Netflix、Amazon Prime、Hulu)、金融サービス(オンラインBank、家計簿アプリ)、ウェラブル系(Apple Watch、AirPods)。
これらは10年のスパンで考えて、10年前の過去の生活にはなかったものと思われる。DX後に物心ついた息子にはDX前の常識が通用しないため、この10年で起きた変容に気づく。例えば、息子は電車をSuica/Pasmoで乗るため、切符を買うという意識がない。子供もテレビは見るがリアルタイムの民放ではなく、NetflixのアニメやYouTubeの動画をテレビで再生している。
□家庭DXにおける主役たち
ここで気付くのは我が家に大きな行動変容をもたらした家庭DXの主役たちに、旧来の大企業の名前はほとんど出てこない。(出てくるのはGAFAやメルカリ、Spotify、Netflixなど)
世の中の企業はBtoCのみではないので、Cである家庭への影響だけで断定的なことは言えないが、既存ビジネスがしっかり形としてあると、そこから事業をDX(トランスフォーム)して大成功するのは、ゼロから始めるよりもかなり難しいのかもしれない。
□家庭のDXが起きた時
一方で家庭に起きたDXは、家族の行動変容や価値観の転換を促したものの、何ら無理にそれらを求めたものではない。メルカリは手軽な出品と安定した売値と売買確率(要は手間以上に確実で楽に売れる=利益もある)から、自然と家族の消費行動や物の所持の概念が変わった。
スマートスピーカーやワイヤレスイヤホンからいつでもどこでも好きな曲を聞けて、歌詞や聞いた曲から推薦曲のおすすめまでついてくる。この音楽体験は、何かを我慢して手に入れたわけでないし自分たちの行動は、もたらされた新しいサービスにより自然体で変容していった。
家庭のDXは主語が企業やサービスであり、それらが家庭にDXをもたらした結果である。そのため、自然と家族に受け入れられるものだけDXが起きて、他はいつの間にか淘汰されたと思う。家族が積極的に自らDXするぞ、と意気込んで取り組んだものではない。当たり前のことだが、これがポイントのような気がしている。
□家庭のDXで分かったこと
元々この話の発端は、日々飛び交う「DX」という言葉について自分なりの定義を授けることによりもう振り回されない、という目的だった。
その目的に向けて、家庭のDXを今回探ることで分かったことが2つある。
●いま家庭に起きているDXは、新しい企業の新しいビジネスモデルによるものが大きい。
●家庭のDXは家庭側が求めた結果ではない。
つまりDXとは、既存の何かしら確立されたもの(企業、ビジネスモデル、家のルール等)を元に改変を加えたものではないようだ。具体例を見ると、既存のものを出発点にしていない。
また元はDXが目的ではなく、あくまで結果論であり、DXはその意味では現象なのかと思う。つまり、天気に例えるなら、虹や霧や蜃気楼のようなもの。起こすものではなく、結果的に起きるという文脈では間違っていないと思う。
□改めて、DXとは何か?
少し長くなってきたので、広げた風呂敷を結んでいきたいと思う。結論を先に言うと、
DXとはデジタルが生活を根底から変える現象
である。これは広義/狭義/経産省と3つあるうちの広義に近いが、もちろん自分で腹落ちするための独自解釈である。
ポイントは2つある。
●生活を根底から変えること
●現象であり意図的に起こすことはできない
□生活を根底から変えること
恐らく希望も込めて、各企業や行政組織、国までもが、現実の課題を解決する魔法の杖としてDXを掲げている面があると思う。そのため、各企業に閉じた変革でもその効果が限定的でも、DXとして扱う毎に本来の意味は薄まっている。
そのレベルの改革は昔からあったし、今までも別の名前で行われてきた。企業に閉じた改革は業務改革であり、そこにデジタル要素があっても、それは、私の上司の言葉通り、せいぜいは業務改革によるデジタル化である。
DXを過大評価するつもりはないが、誰もが理解できる別の言葉がある場合はそちらを使った方が良い。業務改革によるデジタル化の方が身の丈に合うし、起きたことがハッキリとわかる。
DXを生活が根底から変わることとしたのは、今までの言葉の範疇にはない概念だからである。業務改革で生活が根底から変わることはない。その点でリモートワークはDXかもしれない。(企業内で起こりうるDXはまた今度考える)
□現象であり意図的に起せない
iPhoneはアップル社が作ったが、その後に起きたスマホ中心の社会への転換はアップル社が起こしたものではない。きっかけは与えたが、その結果に起きたことはあくまで現象である。
いま企業では、企業の中でDXを起こす議論が盛んである。狭義のDXについての議論であるが、現象であるDXはそもそも自らは起こせない。せめて言えることは、起きたDXという社会現象を受けて業務をデジタルシフトしないと各企業は生き残れない、という危機感は理解できる。
独自な解釈だが、現象であるDXは動詞にはなり得ず、起きた状態を示す言葉のため、失敗したDXなどは存在しない。ただそこにDXが起きなかっただけであり(広義の)DXを自ら起こそうという試みであればそれ自体が失敗だと思う。
□最後に
何故かどこかに喧嘩売ってそうな結論になり、自分でもどうしたものかなー、と感じながらも締める。別に何かを否定したいわけでも反論したいわけでもなく、自分なりにDXという言葉を消化したかっただけなのです。(もう誰に対して言い訳してるかも不明)
DXとはデジタルが生活を根底から変える現象
まあ自分なりにはこれで腹落ちしたので、よしとします。(全て個人の感想です。弱気w)
長文をお読みいただきありがとうございます😭