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#93:反対回り
それは奥さんとスペイン旅行した時のこと。
過去の記憶を呼び起こして自らの話の引き出しを整理、タグ付けするシリーズ。事実ベース、教訓なし、これって何の話?となる恐れあり
グラナダ到着
(確か)マドリードから列車に乗って着いた、グラナダは既に日が暮れそうな時間帯だった。このまま駅から市内に向かうバスに乗り、チェックインさえすれば、今日の旅程は終わり。後はゆっくりワインを飲みつつ、新しい街の喧騒を堪能するのみだった。
最初は、正直余裕だった。
何せグラナダに来るのは2回目。大学時代に友人と2人でスペインを1ヶ月貧乏旅行した時に訪れている。アルハンブラ宮殿や洞窟フラメンコは、その時も旅のハイライトだった。印象深い街であり、こじんまりとして迷うこともないであろう市街地は僅かながら記憶していた。
バスは向かう
そして、油断している時によくありがちな単純ミスを犯すのだが、そういう時は、輪をかけてなかなかそのミスに気付かない。
乗り込んだバスの乗客がどんどん降りていき、走る街並みがだんだん寂しい雰囲気になると、奥さんから何か変じゃない?との指摘。素直に受け入れられない私は、なぜかまだ大丈夫だと返答。でも徐々に心細くなる。しかしスペイン語で運転手や周りの人に話しかけるスイッチがその時はなぜか入らず。(旅程の中盤で少し疲れていた、というのが当時の言い訳)
その間もバスはどんどん郊外に向かう。
終点到着
そして、いよいよバスは終点についてしまう。周りは家もまばらで街灯も暗い。これが中心街ではないことは、誰の目にも明らか。まるで、2人の心の不安を表したような薄暗く物悲しい情景だった。
溜まりかねた奥さんが、ほらっ、おかしいって言ったよね!とブチ切れ。なぜか、反論の余地のないはずのこちらもあわせて逆ギレ?
運転手や乗客は、突如始まった、東洋人夫婦のグラナダの果てでの痴話喧嘩に呆れ気味。
助け舟
運転手にスペイン語で話しかけられるのだが、なかなか理解が追いつかず、親切な乗客の1人が英語で通訳してくれた。
これから反対回りで市街地に向かうよ、と。
それを聞いて心底ホッとした。
元の場所に戻って、最初からやり直さなければならないと沈んでいたのだが、循環している路線のようでただ乗り続ければ良いと。ただし、一旦終点に着いたため、もうひと区間分の料金は必要とのこと。
ほらっ、そんなに大したことなかったやん、と急に元気付く私に対して、時間もお金も無駄にして、と奥さんは終始冷ややかだった。まあ今から思えば、奥さんの方がだいぶまともな反応である。
親切な英訳スペイン紳士は、中心街に着きそうな時にもう一度、この次だよ、と声までかけてくれた。乗り過ごして、またあの喧嘩を始められても困るなということだったかもしれない。
果て感
我々夫婦は割と色んなところへ旅行している。南米で滝を見たり、メキシコのピラミッドに登ったり、フィジーの半日無人島ツアーでは、危うく船に置いていかれそうになった。
自慢に聞こえるかもしれないが(そう聞こえたらすいません)、要するに、少々のことでは、狼狽えない旅行経験は積んでいるはずだと、言いたかった。これは一体どうしたらええねん的な出来事はそれなりに乗り越えている。
それを踏まえて、グラナダ反対回り事件を再び紐解くと実は大したピンチでもないし、2人とも焦って喧嘩するほどの事態とは言えない。碌に調べずバスに乗り込んだ私は、奥さんに文句を言われても致し方ないにしても。
では、なぜあれだけ2人ともヒートアップしたのだろう。とにかくグラナダ郊外の夕方に漂う「果て感」がかなり深かったのだと思う。スペインの夏の陽射しは強く、影は濃く、人々は真昼からシエスタという休憩時間を設けるほど。
その強い陽射しをもたらした太陽が傾き、夜になる間際。人影もまばらで静けさの中にある郊外の街並みに対して、我々はいつも以上の最果て感を感じたのだと思う。今思えば、みんな家で夕飯の支度をしたりしてで、外には人が少なかったのかなと冷静に振り返ったりする。
なおこれ以来、奥さんが私の道案内を無条件には信じなくなった点はこの一件の爪痕である。
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