インターネットは建築をどう変えるのか?(インターネットがもたらす3つの変化)
インターネット:インターネット・プロトコル・スイートを使用し、複数のコンピュータネットワークを相互接続した、地球規模の情報通信網のことである。省略してネットとも呼ばれる。(Wikipedia)
あらゆる変化の最大要因と言ってもよいこの技術は、住まいを変える、もしくは変えているのだろうか?
ネットはデジタル上でのこと、住まいはリアルのこと、だから関係しあうことはないと切り捨てるのは簡単だが、それは短絡的でナンセンスである。
デジタルはリアルを変えていないのか?もちろん変えている。私たちの暮らしを劇的に変えている。であれば、暮らしを最適化する為に住まいも変わらざるを得ないかも知れない。きちんと検証をした上でないと、デジタルだから関係ないとは言い切れないのである。
では、このインターネットは、暮らしをどの様に変えているのだろうか?
実はこの話題は非常に広範囲に及ぶので、これだけで延々と話し続けられてしまう。それはここでの主題ではないし、それよりもその結果、建築がどうなるかを話していきたいので、ここでは簡潔に述べていく。
私は以下の様に暮らしを変えていると考えている。
まず、これまでは共有することが難しかったリアルな情報が、デジタル情報となり、世界中で共有できる様になった。リアルからバーチャルへの情報移動が起こったとも言える。
私というモノは本来そこにだけ存在している。そしてそれを知る人は、直接それを見聞きした人だけだった。リアルなものの情報はリアルな会話や文字や音声などを通じて広がっていくしかなかった。当然、その情報が伝わる範囲は狭いし、伝わるスピードもゆっくりだった。
それが変わった!
リアルなものの情報は、デジタル情報に変換されることで、PCなどを通じて、世界中に一瞬のうちに拡散することが可能になったのだ。
これによってどういったことが起こっているのであろうか?
私は大きく3つのことが起こっていると考えている。
2次元的な変化、3次元的な変化、そして4次元(時間)的な変化である。
2次元的な変化というのは、広がりの話しである。一言でいうと、希少性から統一性への変化(もしくは希少性の消滅)である。インターネットが生まれる前の世界には、その場所にしかないこと、その人ならではのこと、その時しかないことといったものが沢山あり、それらが集まってコミュニティーや社会を形成し、またそれらを特徴づけていた。しかし、インターネットによってこれが消滅する方向に動いている。その場所にしかなかったものが、世界中に発信、共有され、良いものは違う場所でコピーされ、世界中が同じ様な景色になっていく。その地域らしさが残っているのは、インターネットの普及が進んでいない地域が多いことからも明らかではないだろうか。またこれは人、モノ、生活様式、建物、経済活動などほとんどの領域で起こっていると言って良い現象である。
また、この統一性への変化というのは、境界の消滅にも通じている。これまで様々な業界がそれぞれ強みを持って自分のテリトリーを守っていた。そのため、○○業界という境界線がはっきりしていた。けれどもインターネットによって境界が曖昧になってきている。飲食業界と輸送業界はどこで線引きされるのだろうか、美容業界と家電業界はどこで線引きされるのだろうか、Amazonは小売業者なのだろうか、アリババは何屋さんなのだろうか。これらを見ると、将来は大きな1つの会社に集約されてしまうのではないかとすら思ってしまう。。。
ちなみに、最近世の中はパーソナライズの方向へ動いている。購買履歴によって、amazonは1人1人に個別のレコメンドを送っている。Nikeで自分だけのスニーカーを作れる。zozoは自分にあった服や靴を教えてくれる。
これは前述の統一性とは逆行しているのだろうか?
私は逆行していないと考えている。
確かに隣の人とは違うものがレコメンドされるので、みんなが同じものを持つということはないので、一見すると統一性とは逆の動きに感じる。けれども、よくよく考えてみると、彼らのシステムは1つしかない。レコメンドするロジック(アルゴリズム)は決まっている。
もし私と似た人がいたら、ほぼ同じレコメンドがされて、より似たものになっていく。私たちと似た集団がいたら、やはりほぼ同じレコメンドがされて、より似た集団になっていく。そして統一性のトレンドにおいては、似たような価値観や行動様式は増えていく。
つまり、隣の人とは違うかも知れないが、同じ様な人は増えていくし、集団という単位で見るとほぼ同じ集団になっていくことになる。ちょっと怖い感じがするのは私だけはないはずである。
続いて、3次元的な変化についてであるが、これは情報が消滅型から蓄積型へ変化するということである。
これまでのリアルな情報は賞味期限があった。人から人へと広まった情報(噂)はいつか忘れ去られるし、音は余韻や記憶として残るが消えてしまう、味も然り、触った感覚なども然り。書物や録音データで保存されはするが、これらも永久ではなく賞味期限がある。つまり情報は生まれては消えを繰り返していくもの、消滅可能なものだった。
それが変わった!
デジタル化されネットに上がった瞬間からそれは消滅不可能なものになってしまう。情報は消すことができない。そして次から次に発生する情報がその上に蓄積されていく。消えることなく、ただただ増え続けることしかできず、ボリュームが爆発的に増え続ける世界になってしまったのである。
走り出したら止まれない、後戻りできない、失敗できない、やり直せない、そんな世界をインターネットは作り出してしまったのではないだろうか?
人間は、失敗することで学び、成長するはずの生き物である。しかし失敗できないとなった時に、人はどういう行動をとろうとするのか?できるだけ失敗をしない様に生きようとする。徹底的な事前シミュレーションを行い、失敗リスクを極力減らして、リアルな世界では失敗せず、想定内の行動をとろうとするのである。そんな方向に暮らしや社会に進んでいる。
個人的には、面白みのない世の中、無味乾燥な、無機質な世界に突入しようとしているとしか思えない。
消えることは価値になる!失敗することは価値になる!
そして、3つ目の変化である4次元的な変化(時間的な変化)についてである。これはインターネットによってもたらされる最も大きな変化かも知れないが、変化のスピードが圧倒的に早くなったということである。
先ほど述べたように、情報拡散スピードが一瞬になったことだけではなく、演算スピードがムーアの法則に則り、加速度的に進化していること(これはインターネットと直接結びつく話しではないが・・・)なども影響しているのだが、ここで述べてしまう。
リアルに情報が拡散していく世界においては、何かしらの変化が加速度的に起こることはまずない。今日1移動できたものが、明日2になり、4になり、8になり・・・ということは通常起こらない。物理的な制約条件、例えば、人が持つことができる重量、1日に歩ける距離、1度に運べる量などがあるためである。せめて線形変化である。
しかし、インターネットでの拡散は違う。1だろうが、1000だろうが、情報の移動を妨げるものはほぼない。ただの数字だから。
この差は大きい。
これまで出来なかったことを可能にしてしまう。
Amazonのkindleは世界中の人に同じ時間に同じ書籍を届けることができる。リアルな本屋はどう対抗すれば良いのか?この事例は挙げるとキリがないので1つにしておく。
そしてこの変化の影響はでかい!業界がなくなる話に直結する。
リアルでやらなければいけないものは何なのか?
デジタル化した方が良いものは何なのか?
あらゆるものが考え、変化の有無を問われているのである。
以上、3つの大きな変化に関して、暮らしはどうなるのか、建築はどうなるのか、建築業界はどうなるのか、もう少し検討してみる。
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ここまで読んでいただき有難うございます。最後にこれまでの記事へのリンクです。