札幌 2歳女児虐待死事件について思うこと
札幌で
2歳の女の子が虐待死した
容疑者の母親は、21歳
私よりも年下だ
母親を擁護するわけではないが、21歳という若さで実名報道され
札幌という狭い世界であっという間に噂は広まり
直接彼女を知らない私にも、様々な噂が聞こえてくる
私自身が、虐待を受けて育ったため、
「加害者」である自分の母親を見て大人になった
だからこそ
まだ21歳の彼女の人生は、どうなってしまうのだろうか…と
他人ごとではいられない事件だ
私の友人にも、すでに母親になっている子が多いが
若くして母親になることのリスクは、年齢ではないのだと思う
社会に出て間もなく、経済的に自立できていないこと
子育ての励みになるような友人、人間関係、コミュニティが近くにないこと
だから虐待が起きる
私の母親は、私を殴りながら泣いていた
いつも泣いていた
私は中学に入る前に施設に保護され、10年近く母親に会わなかったのだが
その間の彼女の10年間はとても暗いもので
「加害者」と世間の冷たい視線を浴び
腹を痛めた娘には会いに行くことが許されない
彼女自身、複雑な家庭環境で育ち、満たされないまま成人してしまったために
今でも、幼い少女のように泣きだすことがある
理想が高く、自分を罰しすぎる
自分の心を守るために力を抜いたり
思う通りに行かない時に感情をコントロールする方法をしらないのだ
だからといって虐待が許される訳では無い
失われた命は二度と戻らない
児相は何をしていたのか?
と世間はバッシングするが
親子にとって児相は怖いところである
「引き離される」
「捕まる」
「誰にも相談できない」
そんな恐怖を抱かずにすむ
児相の前のコミュニティーシステムが必要だと考える
母親が心を開き、リラックスできるコミュニティー
もしも
21歳の彼女に、子育てに協力的な友人や、助けになるような大人がいたら
2歳のか弱い命は失われずに済んだのではないだろうか
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