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幼馴染の急逝で感じた不思議な感覚

もう10年以上経ちますが、小学校から高校まで一緒の学校で過ごした親友が突然亡くなりました。当時すでにかなり疎遠で、何年も会っていなかったような状況でしたが、いざ亡くなってしまったという事実を突きつけられると、しばらく心の中にポカンと大きな穴があいたような状態になりました。

葬儀に参列し、きれいな花に囲まれて安らかな表情で棺の中に眠る友を見送りました。悲しいとかそういう感情ではなく、あまりにも唐突なことで目の前で進んでゆく現実を自分のなかにうまく取り込めないというか、とても不思議な気持ちのまま時間は過ぎてゆきました。

葬儀が終わって日が経つにつれ、徐々に彼が亡くなったという実感が湧いてきました。彼はもうこの世の中にいないのだということを徐々に感覚として理解できるようになりました。
そこで気づいたのは、自分の中の「彼」は学生時代で止まっていて、それ以降の社会人時代の「彼」についてはほぼ知らないということでした。冷静に考えれば当たり前のことですが。
誰でも生きてから死ぬまで、ずっと同じ人たちと過ごすということはありません。生活の場が変れば新たな出会いや別れを伴うことも少なくからずあって当然です。彼もこれまでの間様々な場で生活してきことでしょう。小学校、中高、大学時代の友人たちとの場、社会人としての場、そして家庭という場、それぞれの場で違う「彼」があったはずです。自分の中の「彼」は小学校から高校までの姿で遠い昔の記憶の中にひっそりと存在するくらいのものです。
彼にとってはもちろん、現在進行形の今の仕事、家庭が一番大事なはずだったと思いましたが、自分の中の彼は高校時代で止まってしまっているわけで、言ってしまえば彼の過去の何ページかを知っているにすぎないんだなと思いました。

それでもしばらくは、彼のことが頭から離れませんでした。悲しいとか辛いとかではなくて、ただただぼーっと思いに耽ってしまうんです。そのせいか、彼の死後彼が夢枕にしばしば現れたのです。夢を見ているときだけは彼が亡くなったということは忘れているようで、目が覚めてそれが夢だったということがわかると、なんとなく「良い夢だったな」とほっこりした気持ちになりました。この世にいなくてもこうして夢で彼に会っていると、彼が常に心の中では生きているんだということを実感できました。今まで何人もの友人、知人が亡くなっていますが、物理的には死んでいても心の中では生きていると実感できたことはこの時が初めてでした。

とても自分勝手な話ですが、自分が会いたかったのは自分の心の中に留まっている子供時代の彼であり、夢の中では都合よくその彼に会えます。考え方によっては友人の死という大きなショックにうまく対処できた、と言えるかもしれませんが。。。。
とにかく生きていることの意味、人の心の不思議を考える良い機会になりました。


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