20代後半から英会話を習得した経験から
私はもともと英語は好きな教科ではありませんでした。
小学生の頃はアルファベットに惹かれ、ローマ字であれこれ書いてみましたが中学校に入学してからは、英語の授業に特に関心があったわけではなく、文法があっても例外があちこちにあり、わかったようなわからないようなぼんやりとした印象で日々学んでいました。
なぜ英語を学ぶのか?
なぜあまり英語に関心がなかったかと言えば、ひとつはそもそもモチベーションとなりえるものがなく、学ぶ理由が明確ではないところが大きかったと思います。
他の教科もそうですが、なぜ今この学問を学ぶのかという問いに対して「受験のため」「良い大学にはいるため」という一言でバッサリ切り捨てられたので、こちらはそれに従って苦痛を感じながらも粛々と言われた通りにやっていただけでした。
多かれ少なかれ、昭和の学校教育にはそういう傾向がありました。特に自分が通っていた中高一貫教育の受験校ではそれが強かったように感じます。
そのおかげで高校3年になってから、傾向と対策にフォーカスする、まるでクイズみたいな受験勉強というものの意味がわからなくなって、精神的に引きこもり状態になったのを今でも覚えています。
モチベーションの芽生え
話を英語に戻しますが、大学に進学後2年までは英語の授業があったので、読み書きはある程度できるようになりました。それと同時に当時専攻していた民俗学に関する海外の文献を読んでみたくなり、いくつか図書館でコピーして読んでみたこともありました。
大学を卒業し社会人になってから、それまで少しづつ芽生えていた海外志向が急に強くなりました。そもそもサラリーマンに興味がないというか、きちんとスーツを着て何十年も毎日毎日会社に通うということができないと肌で感じていたんだと思います。
それで海外に出てやりたいことを見つけたいと考えていたんだと思います。
今から考えたら、そもそもきちんと仕事をした経験もないのに、いきなり海外で仕事を見つけるなんてできるわけないですよね?
本当にバカな青年でした。
海外生活を目指して一歩踏み出す
そうは言え、自分なりにちょっとはいろいろ調べたんです。
その結果、当時にわかに人気の出ていた日本語教師なら仕事にありつけるのでは?と思い、当時渋谷に小さなオフィスを構えていたアークアカデミーの門を叩きました。
アークアカデミーと言えば、今や日本語教育関係では最大手の企業。あの頃は小さな塾みたいな学校だったんですけどね。
当時始まったばかりの日本語教育能力検定試験対策の講座を主催していたからです。
会社勤めしながら週3日くらいの夜間部に通っていましたが、働きながら勉強することは大変でした。必ず定時で上がれるとは限らず、遅刻、欠席を繰り返しながらなんとか通い通しましたが、残念ながら試験には合格できませんでした。
英語はリーディング・ヒアリング主体で継続
これと並行して英語の勉強も継続していました。
英字新聞を買って読んだり、FEN(現在のAFN)をわからないなりに聞いてみたりしました。市販教材ではアルクの○○時間ヒアリングマラソンとか、とにかく多聴多読で頑張っていました。
一方でライティング、スピーキングはほとんどできずに時間ばかり経っていきました。
チャンスの訪れ
そうこうしているうちにチャンスが巡ってきました。
そのころ海外へ行きたい気持ちは強かったのですが、一番かわいがってくれた祖母が存命で、もし日本を離れている間にこの世を去ることになったら悔いが残るだろうと思ってかろうじて踏みとどまっていました。
1992年春、祖母が亡くなりました。90歳まで生きて前日まで元気だったのにあっけなく逝ってしまいました。
足止めしている理由が消えたとたん、ほどなくして日本語教育アシスタントボランティアの応募に運よく引っ掛かりました。
とんとん拍子に話が進み、あっという間に翌年3月から1年間のオーストラリア派遣が決まりました。
オーストラリアでの日本語教師生活についてはこちらで。
また英語に関してはこちらで詳しく。