還暦おじさんの音楽遍歴
60歳を過ぎてちょっと自分の音楽遍歴を振り返ってみます。
人生で触れてきた音楽は一人として同じではないし、そこにはおそらく家族や幾多の友人のかかわりがあるのではないでしょうか?そんなことを思い出しながら振り返ってみます。
きっかけはラジオから
最初の音楽との出会いは中学の頃でした。
自分の部屋をあてがわれ、あの頃の子供たちの必須アイテム、自分のラジオを手に入れた頃です。
当時確か日曜の午後に歌謡曲(死語‼‼)のランキング番組があり、毎週楽しみにして聞いていました。
そこに流れるアリスの「チャンピオン」。当時は「ユーキッキ」って何だろうと思っていました。あの熱い歌が今でも記憶に残っています。
同じ時期にビリー・ジョエルの「ストレンジャー」。口笛から始まる静かなイントロからいきなり始まる重厚なサウンド、最後は再度口笛で静かに終わっていく形。英語はわからないけど、なんかとてもカッコイイと思った曲でした。
オフコースに心酔
そのうち当時メジャーでありながらテレビに出演せず、水面下でぐいぐい人気を伸ばしていったオフコースと虜になりアルバムを買い揃えていきました。今思うと小田さん以外、特にグループとしての評価は不当に低い気がします。小田さんはもちろん、最初のパートナーであった鈴木康博さんの持ち味がオフコース。それに後から加入したメンバーがさらに色々なカラーを加えて素晴らしいバンドになったと思います。
1982年の武道館10日間コンサート、ラジオでの放送を涙しながら聴いていました。
長渕剛そして詞の世界
その後アコギを持つようになり長渕剛さんを聴くようになりました。当時の長渕さんは今と違って、トンガっていたもののもっと地に足の着いたような感じがありました。
彼のルーツをたどっていくと友部正人さん、加川良さんに行きつきました。
特に友部正人さんは衝撃でした。
無骨な声、歌い方、それに難解な歌詞。それでいて心を打つ歌。
まだ現役で頑張っていらっしゃいますが、こんな人は前にも後にもいないでしょう。未だにファンです。
ギターから海外の音楽へ
大学に入学したばかりの頃、アコギに心を奪われていました。
あの音色がなんとも言えませんでした。ありきたりのストローク伴奏ではなくて、何かテクニックを磨く弾き方はないのか、いろんな教則本を買いあさり、アコギに関するレコードを探し回っていました。
ひょんなことで行きついたのがカントリーブルース。
当時カントリーブルースに関する三井徹さんの書籍を見つけ読んでみました。
そしてステファン・グロスマンに行きつきました。
彼はまだ存命のブルースミュージシャン兼研究家であまたの教則本を世に送り出していました。
当時彼のレコードや教則本を探し回り必死にカントリーブルースを毎日練習していました。
アコギをうまく使った曲を探しまくる
カントリーブルースから始まり、洋楽にシフトしていきました。
サイモン&ガーファンクルを聴き倒し、ギターつながりでアイリッシュ音楽へ。バート・ヤンシュ&ジョン・レンボーンのレコードを買いあさりました。
一方アメリカ音楽、特にウエストコースト系もたくさん聴きました。
特にCSN&Y、ニール・ヤング、イーグルス、ドゥ―ビーズはよく聞きました。
クラレンス・ホワイトの衝撃
同じ時期に友人がブルーグラスを紹介してくれました。
ニューグラスリバイバルが好きだったので、それが中心でしたが自分が衝撃を受けたのはクラレンス・ホワイトでした。
最初に彼のレコードを聞いた時、言葉が出ませんでした。
信じられない早弾きだけじゃなく、天才的なリズムの取り方。「アラバマジュビリー」に頭を打ちぬかれた心境でした。
その後継者と言われるトニー・ライスはさらに度肝を抜かれました。信じられない早弾きだけではなく、ブルーグラスから、ほとんどジャズという領域で活躍していた姿はまさに時代の先駆者でした。
日本に来日した際、ディスクユニオンのイベントで間近で演奏を聴くことができ、おまけにサインまでもらったことは本当に良い思い出です。
今では若い時のようにそれほど音楽に熱をあげることもありませんが、自分の中のルーツはカントリーブルースとブルーグラスなのは、確かですね。