『暇』は生きるを豊かにする
「暇」にこそ人生のヒントが隠れていると思う。自分と向き合う最大の時間だとおもう。
私はスマホ依存症だ。本当にスマホが無きゃ生きていけない。
現代にはそういう人が本当に多いと思う。
だけど、スマホを手に入れてからひしひしと感じることがある。思考がみるみる浅くなって明らかにボキャブラリーが少なくなったのだ。
頭の働きがよく、日々の生活の全てをしっかりと処理できている人はそんなことないのだろうが、わたしは一つ一つの出来事をしっかりと考えたい人だ。だから、時間を要す。
スマホは、暇つぶしに本当にちょうどいい。開けばたくさんのコンテンツを見られる。自分で無限に取捨選択できるから、いつまででも見ていられる。スマホを見て一日が潰れた日なんてざらだ。
だが今日、『本当に、暇』な時間が出来たのだ。
端的に言えば出先の帰りの電車でスマホの充電が切れてしまった。いつもならば充電が切れたとき用に常にモバイル充電を持ち歩いているのだが、それも忘れてしまった。いつも耳にはめているAirPodsも使えない。
さあ、どうしたものか。
家までは電車で10分ほどの距離だったが、時が2倍にも3倍にも感じられた。椅子に座りながら周りの乗客をなんとなくながめてぼんやりと外に目をやっていた。
つまんね~という気持ちにもならなかったのは、最近スマホに疲れていたからかもしれない。
そのうちなんだか色々な事が頭を巡ってきて、あぁ、これはこうだった、あれはどうでどうだったから、ああだったのだ、と言ったふうに頭の中のごちゃついているものがだんだんとすっきりする感覚に陥った。例えて言うならば、散らかった部屋の片付けをしているが如くであった。
頭の中のごちゃついた思考や疑問、記憶が、ひとつひとつ綺麗にタンスの中に収まっていく。自分の言葉で言語化されて私のモノになっていく。
私にとって、暇な時に思考することはイコール頭の整理をして、新しいモノを受け入れるための受け皿をつくる時間だったのだ。
普段ならなんとなくTikTokを眺めたり、インスタを眺めてれば楽しく、かつ直ぐに家に着いたし、AirPodsでそれっぽい音楽を聴けば手軽にエモくなれた。
私にとって、思考をめぐらすことはめんどくさくて避けてしまいたいことだったが、敢えてその時間を作ることでむしろ人生が少し豊かになったように思えた。
人生の豊かさは、他人に依存することも出来るけれど、自分で生み出す方が、よりいいのかもしれないな。
今日の歩数
6893歩