高校生が 高校生に 密着!Report 「災害×ジェンダー」を考える
こんにちは、立命館大学 Sustainable Week 実行委員会の野山美鈴です。
本日は、群馬県立館林女子高校(通称:館女)の女性学実行委員会の皆さんのSDGsスタディーツアー...待ちに待ったフィールドワークDayです!
館女の皆さんは、京都のまちに繰り出して、何を発見し、何を思うのか?
ほぼ同い年の高校2年生である私の目線から(いつもの軽快なタッチとは少し趣を異にしていますが)フィールドワークに同行して感じたことを、できるかぎり素直な言葉でお届けします。
「日常」の裂け目が見える瞬間
今年10月、関東地域は台風19号による甚大な被害に見舞われた。群馬県も例外ではなく、私たちの班のIさんも、自宅近くの堤防が決壊したことで床上浸水を経験し、友人には引っ越しを余儀なくされた方もいらっしゃったそうだ。
「災害が少ないまち」と日頃言われていただけに、誰もかれもが初めての洪水に、Iさん自身とてもショックを受けた様子であった。
もう一人の参加者のTさんも、浸水した家屋の泥を掻き出すボランティアに参加し、予想を超える重労働に驚きを感じたと語ってくれた。
昨年には、私が通学していた大阪も地震に見舞われ、右も左も分からないままに、突如、災害というものが自分の「現実」になった瞬間を覚えている。
それは「日常」の脆さ、儚さを感じた瞬間でもあった。いつも自分が「当たり前」と信じていたことが、こんなにも脆弱なものであったことに衝撃を受けた。
都市が自然災害に見舞われるリスクは、気候変動などの背景もあり、年々高まっていると言われている。そのような状況下では、普段から防災・減災の視点を意識し、有事には「必要なとき、必要なところに、適切な支援が届く」ようにすることが必要不可欠であろう。
IさんとTさんが着目したのは、災害時の「ジェンダー」問題についてだった。
「災害」と「ジェンダー」
実は、正直なところ、はじめ私はこの2つの事柄の間に関連性を見いだすことができなかった。しかし、お二人のお話や今回インタビューさせていただいた京都市男女共同参画センターの方のお話を伺ううちに、その深く、解きほぐすことの難しいつながりが私にも見えてきた。
「災害」を定義するなら
災害とは何かー。それはただ大雨が降ることではなく、台風が来ることでもない。それが「災害」と呼ばれるのは、「普段の生活」を成り立たせることが不可能になった瞬間からであるー。
したがって、支援を行う際には「できるかぎり普段の生活に近づけるように」という視点を大変重視していらっしゃるのだそうだ。
これを聴いて、私はこれほど真髄をついた表現はないのではないかと感じた。
聴かれない声、拾われない声
今回京都でフィールドワークを行うにあたって、お二人がとても興味を持っていたのが、世界中から年間約450万人を惹きつける観光都市:京都の災害時の対応についてだった。そのなかでもジェンダーという視点から、例えば性的マイノリティーの方々への配慮や生理用品のような女性特有の必要物資、液体ミルクなど子育て中の方への支援について、質疑応答、議論を重ねながら考えた。
ある女性の行政職員の方が、災害時には絶対に生理用品のような女性特有の物資が必要になるに違いない、とたくさんの企業に声をかけて備蓄していた。しかし、実際に災害が起きたとき、「必要だ」という声が現場から届くことはなかった。命を繋ぐための物資は優先的にヘリで輸送されたが、ついに用意されていたその物資が送られることはなかった...
この話は何を意味するのか。
避難所で仕切り役、リーダーを務めるのは多くが男性であるという現状があるそうだ。女性リーダーが圧倒的に不足した結果、女性特有のニーズが、声が、伝えられないということが起きてしまう。意思決定の場に女性がいない、女性の視点がない...ということは、このような事態も招きかねないのだ。
「マニュアル化できない」ものごと、 マニュアルで動く現場
災害時には、事前に各自治体で定められたマニュアルに従って運営されることになっている。しかし、一辺倒にマニュアル化できる事柄ばかりではない。
特に、性的マイノリティーの方への配慮に関しては、当事者のニーズや希望がきちんと捉えられ、反映されないことも多くあるそうだ。「細かいことは本人に確認する」スタンスを取っていても、緊急の被災時にはそこまで手が回らない部分が大きいのも現状だという。周りの人の希望とのすり合わせが難しい部分もある。
これはもちろんこの話に限ったことではないのだが、「ある社会的カテゴリーに当てはめる」ことで、目の前の「個人」を見失うことのないように。「効率」に個人が押しつぶされることのない世の中になることを、切に願う。
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