やさしい日本語×多言語音声翻訳
1 地域社会の多言語対応
あなたの暮らすまちでは、外国出身の方は何人いるでしょうか。また、何ヵ国から来ていて、言語数はいったい何種類あるでしょうか。
同じ地域に暮らす上で、情報提供やコミュニケーションの必要性は、日本人にとっても在住外国人にとっても変わりはないです。しかし、「どの言語を選択するか」という課題があります。
そもそも、多言語対応には、下表の3つの領域があります。
1 人的対応
2 表示・標識等による対応
3 上記1と2の補完としてICTの活用による対応
また、多言語対応の基本的な考え方は、官民60数団体が参画する「2020年オリンピック・パラリンピックに向けた多言語対応協議会」において定められ、「日本語+英語及びピクトグラムによる対応を基本としつつ、需要、地域特性、視認性などを考慮し、必要に応じて、中国語・韓国語、更にはその他の言語も含めて多言語化を実現」とされています。
この「日・英・ピクトグラム」による多言語対応の質を高めるためには、①日本語初学者でも分かりやすいようにすること、②ネイティブではない英語学習者(第二言語として学んだ人など)でも分かりやすいようにすること、③国際企画や国内規格のピクトグラムを使用することが、重要なポイントです。
以上のことは、多言語対応の基本として記しましたが、本稿のメインテーマとして、2019年から2021年にかけて開催される国際メガ・スポーツ・イベント(東京2020オリンピック ・パラリンピックなど)を背景に、観光立国や入管法改正によって訪日外国人・在住外国人が増えている現状において、多文化共生及び観光・おもてなし(インバウンド対応)の両側面から、「やさしい日本語」と多言語音声翻訳の新たな可能性を拓き、スタンダードとなった取組・考え方について、個人的な経験より紹介します。
2「やさしい日本語×多言語音声翻訳」の着想
私は、2015年度から2016年度の2年間、東京都オリンピック・パラリンピック準備局に出向し、多言語対応を担当しました。
ICT(インフォメーション&コミュニケーション・テクノロジー=情報通信技術)による「多言語音声翻訳」と、外国人が理解できる可能性の高い言語の1つとして「やさしい日本語」のそれぞれに注目してきました。
2016年の夏、オリンピック・パラリンピック開催中のリオデジャネイロにおいて、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)と共に、VoiceTra(ボイストラ)のプロモーションをジャパンハウスにて行う機会を得ました。
リオ2016大会に向けて開発されたばかりのブラジルポルトガル語版を用い、滞在期間中に約400人の方々とコミュニケーションをとりました。その時に、ボイストラを効果的に使えるために「やさしい日本語」の活用が望ましいと着想を得ました。
その理由は、例えば、主語や動詞などの省略といった日本語の習慣(もしくは特性)が機械翻訳の障害となるということであったり、ボイストラは旅行会話レベルの文章の長さを対象としているにも関わらず自分も相手も入力が長すぎるといったことなどで、うまく翻訳できず、しばしば困ったりしたことがきっかけでした。
そこに「やさしい日本語」の特性を踏まえた会話が、ボイストラを使うコツに通じていることに気づき、うまく使えるケースが格段に増えました。
2017年度に出向元の小平市役所に戻ってからは、東京都出向時代の経験を生かして事業化に着手しました。
おもてなし活動や多言語対応がほとんど進んでいない状況でしたが、そこからスタートして、「やさしい日本語」と「VoiceTra」の可能性に着目した取組をそれぞれ行い、2020年に向けた気運や体制を作っていきました(日本青年館『社会教育』2017年12月号参照)。
そして、「やさしい日本語」と「VoiceTra」との両者を結びつけるという全国初の着想を実現すべく、「やさしい日本語」啓発活動の第一人者の「やさしい日本語ツーリズム研究会」事務局長の吉開章氏と、ボイストラ開発元のNICT藤田智子氏に協力を得て講演会・体験会を2018年度に開催しました。
その講演会・体験会をスタートとして、「やさしい日本語」とボイストラを活用しながら実際に外国人と交流する参加体験型の講座を10コマほど行いました。後述しますが国や都などから注目を集めることとなりました。
以下、この取組の考え方・ノウハウを地域活動等に取り組む方々へシェアしたいと思います。
3「やさしい日本語」の現状と未来
「やさしい日本語」は、1993年の阪神・淡路大震災をきっかけに弘前大学の佐藤和之名誉教授が提唱されました。
その役割によって「やさしい日本語」の考え方は多少異なるものの、日本語初学者にもわかりやすいように語彙や文法を調整した日本語を意味します。
「やさしい日本語」で話す場合、東京外国語大学荒川洋平教授提唱の「はさみの法則」すなわち、①はっきり言う、②さいごまで言う、③みじかく言うということに配慮すると、大変伝わりやすいものとなります。日本人が苦手なことですね。
普通の言い方・書き方⇒やさしい日本語化の例
高台に避難してください ⇒ 高い ところに 逃げてください
お召し上がりになりますか? ⇒ 食べますか?
定刻10分前に集合して下さい ⇒ 9時50分に 来てください
土足厳禁です ⇒ くつを ぬいでください
キャンセルしますか? ⇒ やめますか?
お買い得です ⇒ いつもより 安いです
通れないことはない ⇒ 通ることが できます
駐輪場以外は駐輪禁止です ⇒ 自転車を 止めるところが あります。そこに 自転車を 止めてください
なお、やさしい日本語の役割は、主に以下の5つがあります(2019年時点)。
減災のための「やさしい日本語」
弘前大学 佐藤和之教授
平時における情報提供の手段
一橋大学 庵功雄教授
行政の広報や手続き等ための手段
横浜市など
報道における情報提供の手段
NHK「NEWS WEB EASY」など
観光・おもてなしの手段
やさしい日本語ツーリズム研究会
※詳しい説明は、東京都オリンピック・パラリンピック準備局HPへ
「やさしい日本語」は、近年、全国的に定着が進んでいるものの、その普及には壁があります。
❶敬語を使わず短く区切る話し方に慣れるのは簡単ではないということ
❷相手が本当に理解したかどうか、その場で検証する方法が困難であること❸そもそも日本語がゼロの外国人には、「やさしい日本語」でも全く通じないということ
そこで、その壁を破るために必要なことが、VoiceTraをはじめとする多言語音声翻訳との連携です。
多言語音声翻訳に認識されやすい話し方は、「やさしい日本語」に通じる部分が多いです。
つまり、日本語が少し分かる人に対しても、全く分からない人に対しても、日本人が「やさしい日本語」を使う意義があるといえます。
在住外国人・訪日外国人が増加している現状があり、言葉の壁は乗り越えて当たり前の時代を迎えようとしています。
また、ICTの技術革新はめまぐるしく、多言語音声翻訳の効率性・正確性もかなり向上しています。
これまでの「やさしい日本語」は、日本語を多少話す外国人のために、一部の日本人が必要に応じて心得る話し方でした。
対して、これからの「やさしい日本語」は、「世界と交流するために日本人が心得るべき話し方」となってきているのです。
これが「やさしい日本語」のこれからの展望です。
やさしい日本語に取り組む方は、みんな「やさしい日本語は難しい」と言います。そのとき、ぜひ、このことを思い出していただければ嬉しいです。
「やさしい」とは……
日本語レベルが「易しい」ということと、相手にとって「優しい」という意味です。
▶そのため、小さい子ども、高齢の方、知的障がいのある方、聴覚に障がいのある方などにも分かりやすいコミュニケーションと言われています。
▶漢字にルビをふる、相手にわかりやすい言葉にするなどの他にも、身ぶり・手ぶり、絵や写真、文字を大きくするなどの配慮も加えると伝わりやすいです。
4多言語音声翻訳
ボイストラは、NICTの多言語音声翻訳技術を実証実験の一環として無料公開しているアプリです。31言語間の翻訳、18言語の音声入力、15言語の音声出力が可能となっています。短文の旅行会話を中心とした生活会話が得意であり、この翻訳エンジンを基に、多くの民間企業が製品化しています。
使用の際には、いくつかのコツがあります。
〈話しかけるとき〉
・マイクと口の距離は2㎝程度。
・マイクボタンを押したらすぐに話し始め、話し終えたらマイクボタンを押す。
・途中で詰まったら最初からやり直す。
〈翻訳がうまくいかないとき〉
・言い方を変える。シンプルな文法にする。
・できるだけ短い文章で簡潔に考える。
・主語や述語を入れる。
・同音異義語を避ける(例:電車が不通です↓電車が止まっています)
・場所、物の名称、人名など、翻訳できない固有名詞は別の言葉に置き換える。
多言語音声翻訳の短所は、翻訳精度や使い勝手が発展途上であることが挙げられます。一方、長所としては、通訳と比べて多数の言語に対応可能であることや何より気軽に使えることが挙げられます。
つまり、多言語音声翻訳は、あくまで「道具」として個々人が習熟することが必要となるのです。①直接対話、②人による通訳、③身ぶり・手ぶりなどで何とかするといった3つのレベルの中では、②と③の間に位置するものと考えられます。多言語音声翻訳は、その性質上、短い会話や気軽な会話に適しているため、使い慣れていく中で、コミュニケーションの中に適切に組み込む工夫や適材適所で用いることが重要となります。
5 地域社会で活きる「やさしい日本語×多言語音声翻訳」
「やさしい日本語」も多言語音声翻訳も、それぞれが多言語対応に欠かせない手段の1つであるが、それらを掛け合わすことによって、このような実用性があると考えられます。
「やさしい日本語×多言語音声翻訳」は、だれでもできる多言語対応のうち最も効率的手段といえます。全国各地で東京2020大会のレガシーになり得る試みです。だれでも31言語対応できるようになり、多言語対応人口の増大が見込まれます。
また、「やさしい日本語×多言語音声翻訳」は、「多文化共生×観光・おもてなし」とも考えられます。その真なる意義として2つ紹介します。
一つは、外国人に対する「心のバリアフリー化」。
外国人だからといって決して臆することなく、まずは笑顔で「やさしい日本語」で話しかけ、通じなかったら多言語音声翻訳もあります。この二段構えは、話し手の背中を押してくれるはず。コミュニケーションの壁を越え、多文化への理解や共生社会について考えるきっかけとしていただきたいです。
もう一つは、できるだけ多くの人に「やさしい日本語」の重要性に気づいてもらうための「きっかけ」となること。
災害時や平常時、行政広報、報道などにおいても、「やさしい日本語」が地域の共通言語として欠かせないコミュニケーション手段であると、認識を広げていきたいと思います。その普及を促進するためには、国際メガ・スポーツイベントや観光の側面から活動を広げることは非常に効果的であると考えています。
6「やさしい日本語×多言語音声翻訳」への注目
説明してきた考え方・ノウハウ・先進事例は、いま全国的に注目を受けています。
■多言語対応協議会における「取組事例集(vol.1vol.2vol.3」への掲載
■「多言語対応・ICT化推進フォーラム」における講演(資料)
■内閣官房及び文化庁による文化プログラムの優秀事例として「beyond2020認証事例集」への掲載
■毎日新聞や西多摩新聞への掲載 などがありました。
さらには、総務省及び厚生労働省主催の「デジタル活用共生社会実現会議」に招かれて発表を行いました(資料)。
総務省及び厚生労働省は、ICTの利活用により、高齢者や障がい者の支援とともに、男女協同参画や外国人との共生を実現し、誰もが豊かな人生を享受できる共生社会を構築すべく、ICT利活用による支援策や社会の意識改革・普及啓発策のあり方について、2018年11月より会議を開催し検討を行ってきました。2019年4月、その検討結果を踏まえ、「デジタル活用共生社会の実現に向けて~デジタル活用共生社会実現会議報告~」が取りまとめられ公表となりました。
その報告書には、私の「やさしい日本語×多言語音声翻訳」の発表を受け、第8章に計画が記されました。
「やさしい日本語×多言語音声翻訳」の国策化です。やさしい日本語が国の計画に初めて取り入れられました。そのきっかけとなれたことは幸いです。
国際的なメガイベントや観光まちづくり、多文化共生社会に向けて、あなたやあなたの地域でもぜひ取り組んでみてはいかがでしょうか?