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エッセイストのように生きる/松浦弥太郎


「いちいち」立ち止まって考えると、ほんとうのしあわせや大切にしたいものが見えてきます。他人や社会に与えられた価値観ではなく、自分の価値観で生きていける。おだやかな自信を持てるのです。

→「おだやかな自信」というのが、私も目指しているところだなと思った。
みんなそれぞれの考えで良い。
だけど自分は自分の目で世界を見て、自分なりの考えを持っているから、簡単なことで本当には周りに流されることがない状態。


どれだけ「わかりたい」と思うものをインプットするか。いかに「わかりたい」と思わないものをインプットしないか。

→この本を読んで共感したり勉強になったりする部分は沢山あったけれど、一番ギクっときたのはここだった。
そして、そうやって判断したら良いのかと、なんだかずっと心にあった小さい石ころがコロンとどこかに落ちて消えたような感覚もあった。

何年か前大学生だった頃、その駅始発の電車を待っていて、電車が到着してドアが開いて、待っていた人たちが入って席についた瞬間、合わせたかのように全員がスマホを手に取って顔の前に出した時、少なからずの衝撃を受けた。
けれど今では自分もそちら側にいる時があって、お昼休憩にスマホを見た時、「ほっと一息」みたいな安心感を得ちゃっている自覚がある。
一方画面を見ている時間を減らしていきたい気持ちもあるし、実際に目や脳が疲れる感覚もある。
その情報を見てああ良かったなと思うのかどうか、どれだけ覚えていたい情報を得られるのか、損得勘定をしたい訳ではないけれど、ここに対しては少し辛めの確認を自分に課したい。

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弥太郎さんがエッセイを書いている気持ち、少し私が日記を書いている気持ちと共通するところがあった。

放っておけば古くなってぼやけてしまうその時の瑞々しい気持ちをそのまま残したい、自分にとって大切なものを心に留め続けたい、など。

私はそこ止まりだけど、エッセイはそこから自分なりの秘密(分かったこと)を考え、見つけ、そしてそれを読み手へ向けたもの。

人へ届けることが目的ではないけれど、誰かに見せることを意識することで、より深く、心の隅々にまで目を向けることに繋がるんだなと分かった。

通勤時間は常にイヤホンを付けているけど、たまにそれに違和感を感じることがある。
空白の時間を作りたくなることがある。

そういう時って、きっとその感覚に従った方が良かったんだろうな。

朝起きて仕事に行って帰って寝て。
常に何かをしていることが当たり前で、意外と考えることだけに充てる時間ってとても少ない。

だけどそういう時間がないと、私はだんだん心がケチケチしてくる。
少し考える時間があれば、自分の大切にしているいくつかのことはすぐに思い出されて、「ああそうだ、こうやって生きるんだ」ってゆったりした気持ちになれる。

そしてこれからは、新しい自分なりの「秘密」も沢山見つけて、心を豊かに、おだやかな自信を持っていられるように、よりそういう時間を増やしたい。

きっとそういう自分の方が好きだから。
そして、その方がきっと周りにも優しくいられる!

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