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西洋美術を専門にしている私が、『西洋』に対して疑問に思うこと 〜 続編 アンサーnote

昨日、「西洋美術を専門にしている私が、『西洋』に対して疑問に思うこと」というnoteを書いた。

このnoteに対して、masaki morooka氏kaoru氏からコメントをいただいた。この場を借りてお二方に御礼を申し上げる。

いただいたコメントにきちんとお答え出来るかどうか、わからないけれども、私なりの考えをアンサーnoteという形で、つぶやいてみたい。

なお、「つぶやき」なので、参考文献や註は省かせていただく。

まずは、masaki morooka氏からいただいたコメントを以下引用させていただく。

西洋・東洋の線引きは、国境よりもあいまいな認識上の区分だけに、「どう線引きされ、どう認識されているか」という問題自体が、ひとつの研究テーマになりえる重要な問いだと思います。

おっしゃる通りだと思う。

実は、私の博士論文の裏テーマは、この西洋・東洋の線引きが美術の世界で「どう線引きされ、どう認識されているか」だった。

そして、この線引きと認識が、ところによって、人によって、変わることがある。だから、私はモノ(美術作品や建築)を使って証明した。それでも、私が東洋人であることは、よくも悪くも論文の評価に影響した。

話は、飛ぶかもしれないけれども、私の体験談をつぶやく。

体験談とはいえ、実際のところ、私は、英国へ行くまでわからないことが多かったのだなと自分で思っている。その事実は、米国でもわからなかったことだ。

このnoteでは、便宜上、私(東洋人)と西洋人として人種を区別する。ただし、この境界線すら、曖昧で、見た目では、その人の人種的な背景を理解することは不可能だ。それを踏まえて、あえて、つぶやく。

英国の研究生活の中で驚いたことはいろいろあるけれども、その中でも衝撃の一つが「東洋人が古典美術を東洋(例えば日本)で研究することそのものが理解不能」という西洋人の研究者達が複数存在したことだ。

そもそも、私の顔を見て「東洋で西洋美術を学んだ」と勝手に考えること自体がナンセンスだけれども、英国では、同じような質問を何回か受けた。

その中の一つの例を話そう。

ある日、私は、英国で古典の某学会の勉強会に参加した。メンバーは、オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)が大半だった。古典といえば、ギリシアかローマだけれども、どちらかは、ご想像にお任せする。

ちなみに、英国では、学会の発表は、学生のためでなく、研究者のための発表だ。嫌みに聞こえた場合、申し訳ないが、博士課程の学生の発表がメインの日本の学会とは、異なる。

話を戻す。私が東洋人の顔をしていて、まあ、そこの勉強会に座っていれば、最低限「古典美術を研究をしている人間」と見なされるはずだった。しかも、私は、留学生(=客人)ではなく、彼らと同じ英国の国立大学の博士課程の学生として参加していた。

そこで、言われた一言は、「どうやって、君は、今まで古典美術を学んできたんだ」ということだった。質問した人間は、オックスフォード大学の若手研究者だった。私は、質問の意味がわからなかった。やりとりをしているうちに、わかったことは、以下の通りだ。

* 東洋人が古典美術(古代ギリシア&古代ローマ)を学ぶことが出来るなんて考えられない。

* 古典美術を西洋以外の場所(例えば日本)で学ぶことが出来るなんて考えられない。

困ったことに、彼は、「東洋人(私)が、西洋の、しかも、古典の、このレベルの学会の勉強会で、西洋人(彼)の隣に座っている」事実が、本当に理解出来ないようだった。

私は、その学会の会員だったし、私がどれほどの努力をして、その席に座っているか、彼の知性があれば、理解出来たはずだ。

ただ、英国で、この手の反応は、初めてではなかった。一方、私のバックグラウンドを知らず、顔を見ただけで「よくも海の向こうから英国で古典美術を学ぼうと思ったものね。てっきり、古典美術は、英国とドイツが主流だと思ったけれども」(英語で)と言い放った英国人の女性研究者よりは、彼は、親切だった。

私は、彼に英語でこう言った。

「あなたたちが、英国で東洋美術を学ぶのと一緒。SOASでやっているみたいに。」

ちなみに、SOASは、ロンドン大学所属「東洋アフリカ研究所」の名称だ。名前の通り、東洋やアフリカに関する研究所であり、世界的に有名だ。

まあ、驚いたことに、彼は、私が前述のSOASの例えを出しても、私がその西洋文化の神髄ともいえる古典系の学会に存在することが、理解出来なかったのだ。彼のような若い世代でも、彼の「知識」のレベルでもだ。彼の知識がいかなるものかは、わからないが。。。

私は、彼の認識を、こう解釈した。

前回のnoteでも紹介したエドワード・サイードの見解に助けてもらうのであれば、西洋は、オリエントを観察出来るけれども、オリエントは、西洋を観察出来ない。なぜなら、オリエントは、西洋があってこそ存在するから。

多分、彼は、自分の認識が、西洋思想の歪みの結果であることにも気づいてもいないのだと思う。

ここで、前回のnoteでkaoru氏からいただいたコメントを引用させていただく。

西洋と東洋、ロマン主義と古典主義、写実主義と象徴主義のような二項対立図式は、常に他者を鏡にしたアイデンティティの確立でしかなかった。

二項対立図式が過去の産物と化した今、人は己を律する基準を見失い、彷徨っているように思います。ぼくは門外漢ですが、それは美術の世界にも言えることなのでしょうか。

kaoru氏の指摘は、鋭い。二項対立図式で、対立する主義は、少なくとも互いの存在を意識しているがゆえに、対立するのだと思う。そして、東洋の中では、少なくとも日本では、西洋と東洋は、二項対立図式で語られるのかもしれない。

しかし、英国で、この「二項対立図式」は、「西洋」と「東洋」に関しては、存在すらしていないように私は、思えた。

つまり、前述のオックスフォード大学の若手研究者の彼は、東洋人である私が、彼らの西洋文化の神髄(私はこの考えに懐疑的だが)である古典文化を研究することが出来るという考えすら、理解出来なかったのだ。私は、彼の鏡でもない。つまり、西洋思想の中で、東洋は「他者」としても存在していないと知の最先端の現場で感じたのだ。

この「西洋」と「東洋」の境界線の問題は、とても簡単に語り尽くせるものではないのけれども。。。

ただ、この境界線の問題は、米国から発して世界に広まっている「Black Lives Matter」につながっているとも思える。今までの西洋主導型の基準や境界線にノーを突きつけているのだと思う。そんな中で、美術史の世界は、今の歴史の大きなうねりから、置き去りにされているように思うのは、私だけじゃないはずだ。

最後に、今日のヘッダー画像は、昨日ヘッダー画像(英国、ロンドンの大英博物館所蔵、世界の七不思議のひとつ、ハルカリナッソスのマウソロス霊廟の一部と考えられている、馬の彫刻、紀元前350年頃 トルコより出土)と同じ作品を撮影した。

古代ローマ美術は、ヘレニズムに強い影響を受けている。トルコで出土されたこのヘレニズムの傑作を「西洋」と考えるか。「東洋」と考えるか。前述の若手研究者の彼も、(少なくとも)東洋人の私よりは、この存在を認めざるおえないだろうと思うけれども。

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(画像は、著者が撮影した、馬の彫刻、紀元前350年頃 トルコより出土 英国、ロンドンの大英博物館)

続きは、また。