最近のオタクの価値観は変化した!?ギーク/ナードの分類から考察する価値観の変化について
日頃よりTL追っかけてる方のXポストにて、興味深いテーマがあってインスピレーションが湧いたので、独自の分析と考察を備忘録がてら、記事として作成します。
イシュー:今のオタクはギークではなくナードばかりではないか?
個人的には
現代の「オタク」と呼ばれる人種や消費行動は多様化しすぎており、ギーク/ナードの典型的な分類では説明できない価値観/行動も多い
ギーク/ナード自体がスクールカーストという学校内の階層社会を示す図なので社会人に通用していいものか?
という2点の疑問があったので「ギーク/ナード」で区分するよりは、さらに深堀りして行動/価値観セグメントに着目したほうがいいと思いました。
アイデンティティとしての消費
BtoC(対消費者)マーケティングでは「消費すること=その人のアイデンティティを示すための行動」というニーズがしばしば語られます。
わかりやすい例が「スタバでMacbook開いてノマドワーク」でしょう。
これはマーケティングではよく語られる典型例なので、ChatGPTにさくっと解説させておきましょう。
ここでは「アイデンティティのために消費を行う人がいる」ということだけ知っておけばOKです。
現代のオタク消費で満たせるアイデンティティとは?
で、今の「オタク」と呼ばれるセグメントが「コンテンツを消費することでどういったアイデンティティを満たそうとしているか?」を次のイシューにしてみます。
これはインターネットの中では割と普遍的な消費者心理で、たとえば、先日連載終了した「推しの子」でも「他者と批判することで消費を楽しむ」という現象が散見されます。
単に「周りが批判しているから自分も批判している」というだけの「流されやすい層」もいるでしょうが、深層心理としては「人気作を批判しているオレかっけぇ」「誰も気づかない批判の仕方してるオレかっけぇ」という層もいるのではないかと思います。
なお、私自身も「誰も気づかない点を指摘して批判してるオレかっけぇ」みたいなポジショニングをしているため、他者から見れば「批判してるだけ」と、同じセグメントとして見られる可能性はおおいにあるでしょう。
厄介オタク層はギーク/ナードという分類より「ギーク/ナードの下」と定義
で、本来の「今のオタクはギークではなくナード」というイシューに立ち返ってみましょう。
これも定着してコモディティ化しているキーワードなので、さくっとChatGPTに解説させておきます。
この解説の中から、ギーク/ナードの根幹的な違いを抽出するなら「オタク趣味を社交ツールとして使うか?それとも自己探求や向上のために使うか?」が、もっとも両者を区別するにあたってわかりやすいイシューとなると考えられます。
現代の代表的なオタク消費の文脈で言えば「ギークは"好き"で推し活してコミュニティ参加もし"好き"を通して交流を深める」「ナードは”好き”を自分の中で完結しコミュニティ参加も独自の知見や考察を淡々と垂れ流す」といった違いで説明すれば、感覚的にも腑に落ちやすいのではないかと思います。
「社交性」すなわち「オタク趣味を通して他者と交流するか?」の論点で言えば、ギークの方が相対的には交流を通して、社会性が高くなり、TPO弁えて「オタク趣味をアイデンティティとしてアピールしていい場面と、そうでない場面の切り分けができる」可能性が高いでしょう。
一方で、ナードに関しては「そもそも自分がオタクかどうかなんて分類も他者の目も気にしない」と思います。
じゃあ、今の「オタク」と呼ばれる消費者層が何なのかというと「単にギークやナードでも下の方の層」とすれば、おおよそ説明がつくかと思います。
※誤解のないよう補足しておきますが「下の方の層」としてるのは「自己実現欲求が満たされていれば、自分がギーク/ナードであろうが知ったことではない→自分の好きなもの追求すればいいだけでそうならないで過剰反応するのは欲求が満たされていないだけでしょ」という意味で、正確に言うなら「欲求が満たされていない=不満の多い層」とも置き換えできます。
ギークであれば「好きを通しての交流」をするので、コミケでの二次創作であったり、今であれば「推し活」「布教」に励むのではないかと思います。それができない人が「何が嫌いか?」「何を批判するか?」という議論めいた「嫌いなもので群れを作る」ための材料として、オタクコンテンツを消費するわけです。
ナードであれば「好きを探求」するため、その結果として「似たような探求テーマや考察をしている人同士で惹かれ合う」という面から交流が生じることはあっても、ギークと違って第一目的に「交流」があるわけではありません。
そう考えると、私もどちらかというとナード寄りで「自分の興味関心を探求」することには強い動機がありますが、その結果生じた交流関係自体は「自分の興味関心と重なる範囲に強い興味関心を持つ人がいる」ぐらいの認識でしかありません。
いわば「考えや興味関心でつながる」のであって、たとえば「同じアニメを見てるから親近感が湧いて友だちになる」というギーク的な感覚ではなく「同じアニメに対して、似たような解釈や洞察を持っているので、初めて仲間だと認識する」というナード的な感覚です。
で、主題の「今のオタクはギークではなくナードか?」に戻りますと、
ギークとしては「嫌い」でつながる、またはつながること自体を目的としておりオタク趣味はそのための手段でしかない
ナードとしては「批判ですらない非難」「考え方」でつながる、自分の考えや賢さを誇示するためにオタク趣味を嗜む
と考えれば「ギーク/ナードと分類されるセグメントでも、ギークとしては交流関係を広げたりコミュニティ運営するようなコミュニケーション能力を持たない、ナードとしては独自の知見や考察を語るに値する専門性を持たない、能力的に精神的にも未熟な方々の消費行動」と理解すれば、おおよそ実態に近い分析になるのではないかな―と思った次第です。
このセグメントをどう扱うか?
で、なぜ私がこうした考察をXポスト見るだけで瞬時に展開できてるかと言うと、5年前のVTuber界隈に対するnote記事執筆時のイライラやフラストレーションを俯瞰して考えられるようになっているからです。
マーケティングに携わってる方だけでなく、あるいはCtoCとして不特定多数のユーザーと関わるクリエイターやライバーも、この問題はなかなか無視できないと思います。
結論、この層は「ノイジーマイノリティ」「モンスタークレーマー」「厄介オタク」として、無視していいと考えてます。
専門用語がまた出てきたので、ChatGPTにさくっと解説させておきます。
以上のような感じで、カスタマーサクセスの考え方を取り入れながら、各々自分の商売や活動の性質に合わせて、対応すればええんちゃうんじゃないでしょうか。
セグメンテーションを扱う時の注意点
また、一点、今回のテーマで気づいた注意点があります。
それは「スクールカースト」や「セグメンテーション」といった枠組みを、自分自身に当てはめるような使い方はしなくてもいいということです。
マーケティングにおいては「こうしたセグメントにはこうした傾向がある」という語り口をしたり、定義をします。しかし、それはあくまで「対n」という不特定多数向けの取り組みが要されるマーケティングの考え方に過ぎず、「対1」という個人同士の関わり、あるいは自分自身を自己分析する際に用いるには、慎重に取り扱う必要があります。
もちろん、何らかの事象(たとえば自分が行動や価値観を理解できない他者を間接的に理解するためのツール)としては、議論を誘発させる起点となったり、他者との違いを知るための手段としては有効活用できる場合もあります。
ぜひ、今回紹介したような「セグメント/セグメンテーション」の考えを理解して、上手く皆さまの活動に有効活用していただければと思います。