見出し画像

離人症体験記~フタノキさんの場合~【論考紹介もあり】 

今回は「離人症バー」の主催者の一人でもある”フタノキ”さんがXで綴った「離人症遍歴 #離人症と私」を紹介する。

フタノキさん自身がこれまで経験してきた離人症について記したものだ。

また、フタノキさんが紹介してくださった2つの論考のリンクも掲載する。


フタノキさんの離人症遍歴

離人症バーが近づいてきたので、自己紹介も兼ねて、主催を務めます私( @futanoki )の離人症遍歴を綴っていこうかなと思います。

私は今年で36になります(😇)が、離人症の発症は突然で、大学受験に失敗して浪人生活を始めた春のことでした。2007年4月12日の木曜日。この日で私の人生は主観的には終わりました。R.I.P

その日は予備校で授業を受けていましたが、授業中に突如動悸が始まり、めまいがして、教室の風景が今までのような感じではなくなり 、何が起きたのかさっぱり分からず、慌てて早退しました。自宅で横になりましたが、翌日になっても「変な感じ」が抜けず、視界がのっぺりとしていました。

それからも違和感が全く抜けず、予備校の授業中に動悸を繰り返すようになり、授業を受けられなくなりました。S台予備校に通っていましたが、当時は座席指定制で、授業中の中座が教師に咎められるような雰囲気がまだあった時代でした。結局、予備校を辞めることになりました。

「違和感」は漠然としながらも徐々に大きくなっており、切迫感がありました。何に対する違和感なのかも分からず、将来どうなってしまうのだろうという焦りからパニック発作が出てくるようになり、外出がまともにできなくなりました。

家の近くの大学病院の心療内科に受診したものの、「違和感」の内容を上手く医師に伝えられず、「受験ストレス。乗り越えなけばならない壁だよ」と殆ど一蹴され、気休めのジアゼパムを処方されただけでした。

親も昔の感覚の持ち主で、息子が精神の薬を服用するという事態を受け入れられなかった様子で、薬もどこかに隠されてしまい、パニック発作もますます酷くなりました。

2007年の夏頃になると、貧血と倦怠感が酷くなり、たびたび腹痛に見舞われました。遂に限界が来て、9月から1ヶ月間の入院生活となり、検査でクローン病が発覚しました。点滴で腸を休め、栄養剤中心の生活となりました。退院後は腸の炎症が収まり、貧血とパニック発作がやや改善しました。

が、「違和感」は相変わらず続いていました。その頃には気分上の「違和感」だけではなく、目の前の街が高校生だった時代の街と別物に見え、繋がりをなくしていました。2007年4月12日を境として、自分と世界との関係性が決定的に変わってしまったのだと感じられるようになりました。

一応貧血と腸の炎症が落ち着いたので、受験勉強を再開でき、なんとか志望の某獣医大学に滑り込むことができました。これで落ち着くだろうと思いましたが、大学1年生を迎えても「違和感」は全く変わりませんでした。

獣医大学は15年程前はまだカリキュラムに余裕があり、勉強も大変ではなかったのですが、大学3年生の夏を過ぎた頃に、一段と「違和感」が悪化しました。昼の街を歩いていても、視界が薄暗く、太陽の光も蛍光灯のようになりました。音が聞こえても記憶に残らず、街が妙に静まり返っていました。

結局、「離人症」の言葉を知ったのは大学3年の10月頃でした。3年余り苦しんできた「違和感」の正体とは、「現実感のなさ」ということだと自分の中で説明がつき、「現実感のない」病気があるということをネットや文献を調べてようやく辿り着きました。

「離人症」を自覚はしましたが、再度心療内科を受診するという気は起こりませんでした。「離人症」を自覚しある意味スッキリはしましたが、「現実感がない」という途方もない状態を前に手も足もやる気も出ませんでした。

獣医大学は大学4年生以降、臨床科目が増えて、グループでの実習の機会が多くなりました。それまで座学が中心でぼんやり授業を受けていてもなんとかなりましたが、実習に入ると途端に周りの状況に着いていけなくなり、リアルタイムのやり、とりができずフリーズしてしまいました。

成績はボロボロでしたが追試を受けまくり、やっと最終学年に辿り着き、獣医師国家試験もぼんやりとした頭の中の霧を追い払いながら、必死に勉強し何とか合格できました。離人症下での暗記科目は非常に辛く、何をどれだけやっても「ふわっと感」が残り続け、手応えが全くありませんでした。

大学は6年間もありましたが、同じ研究室の若干数の同級生を除いて、他に誰がいたか、顔も名前も殆ど思い出せません。大学生活で刺激を受け、離人感が徐々に消えていくかも期待していましたが、駄目でした。あの6年間は何だったのだろうと後悔の念すらも起こらない純粋な虚無でした。

獣医師の資格を取っても、自分の体力と能力ではとても臨床の世界に足を踏み入れられず、安牌な地方公務員で落ち着きました。技術職は自治体にもよりますが倍率も低く、人手も足りないので、余程のことがない限り合格できます。ありがたかったです。

職場ではクローン病をオープンにして、離人症はクローズにしています。(そもそも離人症は診断を受けていない状態ですし)
何だかんだで騙し騙し10年、周囲から出来が悪いと思われているとは思いますが、仕事を続けることができています。

パニック発作は1年目の時、講習会で衆人環視の状況で話さなければならなくなった時に起こりました。それからは正直に伝えて、そのような過緊張の状況から外してもらうことになりました。

離人症とは何なのかということをひとことで言い表すのは難しいのですが、「あらゆる現実感を失う」という症状である、と言えるでしょうか。「自分」に対する現実感、「世界」に対する現実感、「時間」に対する現実感、「他者」に対する現実感、「自分の人生」に対する現実感を失い、「一人の人間がこの世で生きていくこと」そのものを成り立たせている根本・意味を失うということです。

余りに途方がなさすぎて、私の場合は「現実感がない」ということそのものを把握するのに3年半かかりました。同じように「何かがおかしい」で留まって苦しんでいる人はかなり多いのではないかと思います。

「離人症」という現実ですら、現実として感じられないので、全ての事象が掴むことができない霧です。このまま本当にぼんやりとした状態まま、時間が高速に過ぎ去り肉体だけが老けて老人となっていきます。時々焦りが発作のようにやってきて汗びっしょりとなります。

離人症は孤独感を感じないかというと、そうではありません。孤独であるという事実は恐ろしい程に正確に把握できるので、ぼんやりとした霧の中から暗闇に引きずり込む魔の手が伸びてきます。焦りと孤独感が中年以降の離人症患者を蝕みます。

私以外にも、周囲に離人症を打ち明けられず、打ち明けたとしても理解されず、孤独に耐えている離人症患者は多いのではないかと思います。

そこで私は、何とかして「離人症患者の集い」の場を作りたいと、僭越ながら活動を始めることにしました。

離人症の集いなんかやっても解決の見込みもないし、意味ないのではという意見もあるかもしれませんが、もうそんなことは分かっています。分かってはいますが、苦しみを分かち合い孤独感を少しでも癒すことができる場が絶対的に必要だとやはり感じています。

離人症の当事者の方、当事者のご家族、友人の方、関係のない被当事者の方も、この活動を知っていただき、全国に散らばる孤独な当事者の助けになれば幸甚に存じます。

離人症にまつわる論考紹介

フタノキさんのXでは論考を紹介したり内容をまとめてくださったりしているので是非読んでください。以下にもリンクを貼っておきます。

柴山雅俊氏の論考

柴山雅俊. 離人感・現実感喪失症の治療. 臨床精 神薬理 26: 801-805, 2023

芹場輝氏の論考

随想 ポスト木村敏の離人症論をめぐるポリフォニー 松下姫歌『心的現実感と離人感』を起点として 芹場 輝

フタノキさん、今回は記事作成にご協力ありがとうございました。


今回はこちらのブログ記事と同じ内容を載せました。↓


いいなと思ったら応援しよう!

すしの@離人症
よろしければサポートお願いします! とっても喜びます。