東京五輪エチオピア代表選考会と全米学生選手権1日目の雑感(強い選手たちと中長距離種目の高速化)
6/8にオランダのヘンゲロで陸上中長距離の東京五輪エチオピア代表選考会が開催された。エチオピアは高地にあるので、世界大会の前に毎回6月にこのヘンゲロの地で代表選考会を行っている。
エチオピアは2020年に内戦の影響で、トップ選手でさえも国外の試合にすら出れないということや、練習に支障が出るといったコロナ禍での影響があった。
エチオピア陸連はそういった影響から、代表クラスや候補選手をまとめてアディスアベバに集合させ、半年間の長期合宿を組んで強化を図ってきた。
元々、男女ともに5000m以上の距離の種目で圧倒的な強さを誇っていたエチオピア勢が東京五輪に向けていよいよ仕上げに入ってきた印象だ。
ハッサン世界新の2日後に再びギデイの10000m世界新
シファン・ハッサンは2019年ドーハ世界選手権で1500m / 10000mの変則2冠を達成した。10000mではラスト1500mを3:59で走破する圧倒的なスピード(ラスト1周61秒)1500mでは大半を単独走ながら世界大会では最高記録となる3:51.95をマークした。
2020年10月にハッサンは地元オランダのヘンゲロで10000mの世界記録更新に挑戦。冷たい雨に打たれて後半ペースを落として29:36.67の世界歴代4位(当時)にとどまった。
しかし、2021年6月6日に再びヘンゲロの地で10000m出場し、2100mから単独走で29:06.82の世界新をマークした。
女子10000mは今年、3つのレースで29分台を4人がマークしている。昨年、新谷仁美が10000mの日本記録を出したときに「世界は29分台」と話していたが、まさにその通りの結果となっている。
しかも、29:01や29:06は新谷の日本記録の30:20.44よりも1周あたり3秒程度早い。世界大会でメダルを獲得しようとしたらまだまだ明らかな差があるのがわかる。
今回のギデイの29:01.03の世界新の後半5000mは14:18、ラスト1000mは2:44、ラスト1周は63でカバーしている。
これを競り合って出しているわけではなく、単独走で走っている。
今回のレースの気温が23℃あったことを考えると、彼女が5000mぐらいまでペーサーに引っ張ってもらい、涼しい気象条件で後半はライバル選手(ハッサンなど)と競り合えば28分40秒台は出るかもしれない。
10kmのロードレースで男子ペーサーに引っ張ってもらえばそれぐらいの記録が出そうだ。
現在、23歳で5000mと10000mの世界記録保持者になったギデイであるが、元々ジュニア時代から世界クロカンジュニアの部を連覇するなど圧倒的な力を持っていた選手である。
ドーハ世界選手権10000mではハッサンのラスト1周61秒に屈して銀メダルに終わったが、その2ヶ月後のセブンヒルズ15kmでは44:20の世界最高で優勝しており、その時日本人学生選抜の男子の結果は以下。
44:19 中村風馬(帝京大)
44:20 遠藤大地(帝京大)
44:41 森凪也(中央大)
45:35 蝦夷森章太(東洋大)
2人に勝ち2人に肉薄するというパフォーマンスを見せていた。
その時のスコアの1319はとても高い点数であり、今回の10000m世界新のスコア(1303)よりも高い。
スコア1319は以下(女子)
800m 1:51.53
1500m 3:46.25
3000m 7:59.23
3000mSC 8:31.51
5000m 13:42.33
10000m 28:44.31
ハーフ 1:03:07
マラソン 2:11:51
女子100m世界記録保持者のF.ジョイナーの10.49の世界記録で1314なので、ギデイが21歳の時に出した15km 44:20のパフォーマンスは規格外である。
ギデイは2020年12月のバレンシアハーフでハーフマラソンデビューを予定していたが、彼女の地元のティグレイの内戦の影響で練習するもままならず(電気が開通しないなど生活も困窮したよう)バレンシアハーフを欠場した。
彼女はそれから首都のアディスアベバに拠点を移したが、今ハーフを走ってもペーサーがいて気象条件が良さそうなら63分台の力を持っているかもしれない。
26分台でも代表入りできない10000mは男子も凄かった
※ラスト1周51とあるが、実際は52.7(訂正致します)
五輪エチオピア代表選考会で見ていて面白かったのが男子10000m。序盤はケニアのマサイが高速ペースで1人だけ走っていたが、中盤でエチオピア勢が追いつき(5000m通過13:31)そこからペースの上げ下げがあった。
6600mあたりからはペースダウンにしびれを切らしたバレガが6600 → 6800の区間を200m28秒のスピードアップを見せたが、誰もついてこなかったのでまたペースが落ち着いた。
ラスト勝負ではアレガウィがラストスパートをかけたが、バレガが貫禄勝ち。バレガはドーハ世界選手権5000m銀メダリストだが、今回は10000mのみの代表となりそうだ(エチオピア陸連は東京五輪に選手を基本的には2種目出場をさせない方針だという)。
このレースで2位のケジェルチャも十分強い走りを見せたので、東京五輪ではウガンダ勢とのメダル争いが楽しみである。現在のケニアの10000mの代表クラスの選手はラストのスプリントに課題があるのでメダル争いに加われるどうかはまだわからない。
今回のレースではU20の選手も含めて26分台が5人でたが、気温が24℃あったことを考えると、彼らにとってベストコンディションでなくても26分台は複数人出せる、ということだ。
しかもそれは、イーブンペースのレースではなくファルトレクのようなペース変化の多いレースであり、世界大会決勝のようなレースであった。現状、10000mではケニア勢よりもエチオピア勢の方が優勢であると考えている。
男子1500mの記録水準向上がすごい
エチオピア選考会で以外だったのは1500mの2,3番目の選手もそこそこ力をつけていることだった。
このレースは3周目から55秒にペースアップというタイトなレースだったが、それまでのエチオピア男子1500mのトップであったテフェラが3位に敗れ、新たに五輪標準突破をした選手が複数いた。
今回の五輪選考会は基本的には上位3名のエチオピア人選手がそのまま代表になるが(五輪参加標準を破った場合)、1500mでエチオピア勢にも注目すべきだろう。これらの選手は昨シーズンにコロナ禍でDLに出場していない。
この大会だけでないが、この2-3週間に開催されている競技会での男子1500mの記録水準向上が凄まじいと感じている。この間に日本の荒井七海が3:37.05の日本新を出したが、今年出た記録順のランキングでは6月10日時点で83位という順位であり、記録水準の向上がめざましいことがわかる。
今年はオリンピックイヤーでいつもの年よりも記録を狙いにいく機会が増えているので、前回のリオ五輪の時の状況と比較してみた。
2016年に3:37.05の日本新を出した場合、2016年6月10日時点で43位となる。2021年で83位であるから、3:37:05より速い記録を持っている選手が2021年には2016年よりも倍増しているという事実がある。
6月10日までの3:40切の選手を見ると、2016年が84人。2021年はなんと188名と倍増以上の勢いで増えているので、この種目では明らかに記録水準が向上しているといえる。
【男子1500mのまとめ】
・2016年1月1日〜6月10日(リオ五輪前)
3:40:00切:84人
3:37:05より速い:42人
・2021年1月1日〜6月10日(東京五輪前)
3:40:00切:188人(2016年の2.24倍)
3:37:05より速い:82人(2016年の1.95倍)
今回のエチオピア勢は女子800mも1500mも凄い
今回のレースではそれまでに4:00切をしていなかった2人が3分台に突入。ハイルは今季世界最高記録で、エチオピア歴代4位の3:57.33、U20のウェルテジは800mで1分台の記録を持っているが、1500mで代表入りして東京五輪の入賞候補に名乗りを挙げた。ウェルテジの記録(3:58.93)はU20エチオピア新でU20世界歴代6位の好記録。
この種目では、今年の2月に室内1500mで3:53.09の世界新をマークしたツェガエが今回5000mに出場したため、新しい若手の活躍が目立ち、このレースには1500m世界記録保持者のG.ディババは出場していない。
女子800mではそれまでに2:00を切ったことのなかったゲタチュが1:56.67のエチオピア新で一気に五輪の金メダリスト候補に名乗りあげた。エチオピアは高地のため、中長距離種目の記録は平地よりも記録が出にくい。また、コロナ禍のため、海外遠征が制限されていたエチオピア勢にとってはこのコロナ期間に力をつけた選手が新たに頭角を現してきたというところだろう。
ゲタチュは1周目を56秒というハイペースで通過したが、そのまま2周目を乗り切って今回の好記録が生まれた。
3000mSCでは若手の台頭が光る
3000mSCはエチオピア男女で東京五輪のメダル獲得が期待されている種目であるが、男子ではドーハ世界選手権銀メダリストのギルマが欠場して代表落ちの危機(エチオピア陸連が特例を出さない限りは)。
ドーハ4位のワレは今回5000mに出場したので男子3000mSCは若手の活躍が光った。
U20のタケレがU20エチオピア歴代3位の好記録の8:09.37(今季世界最高)で優勝。ハードリングを見るとまだ改善の余地がありそうだが、どうやらエチオピアにはハードルそのものを置いている場所が本当に少ないそうだ(アディスアベバの国立競技場か国営のアカデミーのみ)。
今回タケレはほぼ単独走であったことを考えると記録改善の余地はまだまだありそう。東京五輪でのメダル獲得が期待される。
女子はエチオピア記録保持者のアベベ以外にも新たに標準突破者が生まれて五輪に向けて調子を上げてきた。ムレタの記録(9:14.03)はエチオピア歴代6位、ワンドマゲンの記録(9:16.95)は同7位。
比較的、エチオピアの選手のハードリングの技術はあまり高くないが、最近ではエチオピア代表合宿が盛んなので、この種目はエチオピアの選手の台頭が今後考えられる。
圧倒的だった女子5000mとレベルの高い男子5000m
女子5000mは14:10台が3人という凄まじい結果になったが、序盤からツェガエが世界記録を意識したようなペースで単独走。3000mを8:31で通過したが、そこからの1000mでペースを落として後続に追いつかれた。
しかし、ラスト勝負ではしっかりと勝ちきり、14:13.32の世界歴代5位(以下の14:13.33は誤り)以下の世界歴代8傑をエチオピア の選手が占めた。
ツェガエは今年に室内1500mで3:53.09の世界新、10000mでは29:39.42という好記録をマークしているが、東京五輪は特例がない限りは5000m1本での出場となる。金メダル獲得に向けて順調というところだろう。
現在の世界レベルの女子中長距離選手では、5000mや10000mでもラスト1周を61-63秒程度でカバーするので、メダル獲得を視野に入れるということは、ある程度のペースで中間走をしながらかつ、ラストをそれぐらいで走れないといけないということである(少なくとも1500m3分台のスピード感は欲しいところ)。
男子5000mも見応えがあったが、2017年ロンドン、2019年ドーハ世界選手権金メダリストのエドリスが5位というレース。4位の選手も12分台であるが、それだけでは代表入りが出来ない。
優勝したワレはドーハ世界選手権で3000mSCで4位に入った選手であるが、今回は5000mを選択して見事に優勝。ただ、ラストの200mのキレはバレガクラスではないと感じるので、東京五輪の決勝で金メダル争いができるがどうかはまだわからない、といったところだ。
とはいえ、ほとんどペーサーもいなくてかつ、気温24℃のコンディションでこの記録を出してくるあたりに(女子もそうだが)エチオピア勢はかなり強いということがわかる。
元々、ケニアもエチオピアもアフリカ勢は中長距離の場合トップクラスの選手でなければトラックレースで海外遠征が出来ない。それは彼らと契約している代理人もビジネスで仕事をしているため、競技力の高い選手としか契約しないからである。
当然、トラック競技においてはこの数年間も世界大会以外でダイヤモンドリーグ ではこれまでエチオピア勢が活躍してきたわけだが、こうやってエチオピアの代表候補が大勢出場してくると、もはやダイヤモンドリーグ や世界大会並みのレベルの高さのレースが展開される。
エチオピアでの大会は標高が高いため、突出した記録は出にくいが、この数年にかけてエチオピア勢がロードレース以外でもかなり力をつけてきていることは間違いないだろう。
マラソンの代表選考は5月にエチオピアで開催されたが、ケネニサ・ベケレがその選考方法に異論を唱えたのは記憶に新しい。トラックも含め、東京五輪のエチオピア代表選手が確定するまでその詳細が全て明らかになっていないが、今回の五輪もエチオピア勢が男女の中長距離種目で多くのメダルを獲得するだろう。
全米学生選手権男子10000m:42年前の大会記録(28:01)を10名が更新
6/9のレースでは全米学生選手権男子10000m決勝のレースが最も印象に残った。これまで101回の長い歴史を持つ全米学生選手権では男子10000mで27分台が記録されたことは1回もないが、今回のレースでは10名もの大学生が27分台をマークして42年前(1979年)の大会記録(28:01.30)を更新した。
これはペーサーのいるようなレースではなく、あくまで選手権での記録なのでそのインパクトがより強い。27:40秒台を8人記録したが、ラスト400mでもまだこれだけの人数が集団にいるということが凄い(↑ラストの動画)。
優勝したタルサ大のディーバーは自己記録を47秒更新。このレースでは完走した19名のうちなんと15名が自己新という去年の日本選手権10000mのようなレースになった。
以下は、アメリカの大学生の2013年からの10000m27分台の選手の数である。
(出典:LRC )
この数は日本の大学生にも似たような感じであった。学生の27分台はこれまで日本でも年間に1人出るかどうか、というところだった。
しかし、去年や今年にかけて日本の学生でも27分台の選手が増えた(中谷、太田、井川、池田、田澤、鈴木)。去年から今年にかけて8名の学生が28:00台を出していることを考えれば、今年はこの選手以外にも27分台の選手が増えることは間違い無い。
そして、各大学の大学記録は次々と塗り替えられていくのだろう。
このような状況を見ていると、これまでの記録水準よりも明らかに向上していることは間違いないので、新たな記録の水準を自分の頭の中でアップデートしていかなければ、レースで記録が塗り替えられるごとに驚いてしまうことだろう。
中長距離種目において○○新というワードは今後も増えていくことが予想される。
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