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子育てレポートシリーズその1〜私が令和になっても3歳児神話を信じる理由〜

今回から新しく、「子育てレポートシリーズ」を始めることといたしました。このシリーズは子育てを通じて学んだことや発見したことを文章にまとめていきます。子育てを始めてまだ2年、あくまで子育てを始めたばかりの専業主婦の視点て書いていますので参考になるかは分かりませんが、レポートの記録を通じて新たな発見があるかも知れません。どうかお付き合いください。


序章

先日X(旧Twitter)にてこのような記事を見つけました。

https://news.livedoor.com/article/detail/27758558/

内容を要約すると「1歳未満から保育施設に通う子は、3歳まで通ったことのない子に比べて3歳時点での発達遅れの割合が少なかったとの研究結果が出ており、また、3歳時点では保育施設に通う子の方が、5分野全てで発達遅れとされる割合が少なく、むしろ、コミュニケーションスキルと個人社会スキルの割合の差が大きかった。」という内容でした。

東北大学の研究チームが発表した研究結果なのですが、私個人の感想としては「早期保育施設通い、発達に好影響 東北大などのチームが4万人解析」という記事の見出しが良くないと思います。「保育園に預けた方が子供の発達が促される」かのような印象をつけたいという思惑が透けて見えます。また、東北大学の研究チームのプレスリリースによると「今回の研究では3歳時点での発達を比較したに過ぎず、3歳以降の発達や、発達以外の母子関係やその子の心理的安定などを評価したものではなく、一概に保育施設での子育てが家庭での子育てに優れるということを結論づけるものではありません。」と記載してあります。
しかし、この研究を取り上げた記事の中には一才記されていませんね。少し偏った切り取り方のように感じます。

https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press20241209_03web_child.pdf

東北大学の研究チームとしては「3歳未満でも仕方なく保育園に預けなければならないご家庭の不安を拭いたい。」「早期の集団生活により発達が促されるのであれば、未就園児にも多くの他者との交流や多彩な経験を提供できるような働きかけが必要だ。」という意図で発表したのだと私は感じました。

日本には昔から3歳児神話というものがあります。「幼児期の育児は子供の成長に影響を与えるため、3歳までは母親は子供のそばにいて、子育てに集中しなければならない」という言い伝えです。もともとこの理論はジョン•ボウルビィの「愛着理論」から来ているとも言われています。しかしながら近年「3歳児神話はデマ」だとか、「3歳児神話が子供を保育園へ預けることの妨げとなっている」と言われ出すようになりました。

確かに、乳幼児期に母親が働きに出たからと言って、子供の身体的•心理的発達に必ずしも悪影響を及ぼすとは私は思いません。しかしながら私は今だに「3歳児神話」を大切にしています!今回は私が3歳児神話を大切にしている理由についてお話しします!

3歳児神話は親のためにある

私は3歳児神話を「3歳までは子供中心の生活にする」という定義づけをしています。3歳までは子供の健やかな成長のために環境を整え、食事や睡眠などの生活洋式を乳幼児に合わせ、子どもをよく観察し、健やかに成長できるような生活を送れるよう調節する必要があると私は考えます。近年では経済的理由により、共働きをするご家庭が増えていますが、可能であれば3歳までは就労の制限をし、母の就労の制限が不可能であれば祖母などの母親の代役を立てることが重要であると私は考えています。

どうして私がそう考えるのかというと、3歳までは子供を雑に育ててしまうことができるからです子供は4歳になるまできちんと自分の意思を主張して不満を伝えることはできません。しかも、雑に育てていても、子供は基本的に母親に愛情を向けてくれます。だからいい加減に育ててもそれに気づきにくいという側面もあります。

しかしながら、この時期をいい加減に育てると、具体的に何が起こるのかというと「後々の育児に難航する」のではないかと私は考えています。子供が親元を離れるまで18年あるので、3歳時点の育児に失敗したとしても、充分巻き返しはできると思います。しかし、3歳までの育児を丁寧にやって、良いスタートを切っておくことは育児の難易度を下げることにつながると私は考えています。

3歳児の育児を丁寧にやる理由

3歳児育児を丁寧にやる理由は3つあります。

  1. 子供にとっての安全基地をつくる

  2. 子供の特性、個性を把握する

  3. 子供への愛情を育む

  4. 子供の個人差に対応した育児ができる

ひとつひとつ説明していきます。

1.子供にとっての安全基地をつくる
子育てにおいて、まず子供に「困ったとき頼る先はお母さん!」と知って貰わなければなりません。子供が成長して、自分で判断できるようになるまではたくさんの判断ミスや誤りを犯してしまいます。だからこそ、自立できる年になるまでは、「何かあった時はお母さんを頼ろう!」という考え方を身につけてくれた方が便利なのです。

例えば、子供が何かやりたいことがあって、自分の力だけでは成し遂げられないことがあったとき、具体的には値段の高いものが欲しいと思ったとします。母親に信頼を寄せている子であれば、お母さんに相談したり、交渉することができます。こういった体験は「他者に頼り、交渉する力」も身につきますよね!また、この考え方があるおかげで、不審者に声をかけられても助けを読んだりと防犯にもつながります。

ところが、親を信頼していなかったとしたら、最悪の場合盗んでしまったり、親の財布からお金を取って手に入れようとしてしまいます。さらに、こういった悪い行いがばれなかったり、きちんとした処分を受けることなく通りすぎてしまうと、誤った方法で物を手に入れることを学んでしまいます。あくまで一例ですが、相談でき、頼れる親の存在は子供の社会性に大きく影響されることがわかるでしょう。

では、なぜ安全基地を作るために3年を要するのかと言うと、私たちも、初対面の人間と打ち解けるのにだいぶ時間がかかりますよね。1年共に過ごしたからと言って、親友になれるわけではないですよね。やはり、3年は欲しいところです。

この時期を母よりも、保育士の方が長時間世話をし、子供の愛着対象は保育士になってしまったとしましょう。保育士は小学校へ上がると関わりを持てなくなってしまいますよね。すると、子供からすれば突然安全基地を失ってしまうことになります。心も体も未熟な子供にとって、それは大きな精神的負担となってしまいます。当然暴力的になってしまったりと問題行動をとってしまいます。そんな時、きちんと母親との信頼関係を構築できればいいのですが、なかなか時間を要する上に、根気がいります。やはり、「子供の愛着対象は母!!」という固い決意の下、幼児期に子供に愛着をもってもらえるように根回しをする方が後々の育児は楽なのです。

2.子供の特性、個性を把握する
子供の性格や個性は把握しておいたほうが、子供との適切な関わりができるというのは言うまでもありません。せっかちな子は些細なことでイライラしてしまわないよう根回しした方がいいですし、のんびり屋の子は遅刻をしないようにスケジュール管理を身につけさせた方がいいです。

「母親なのに子供のことがわからないわけないじゃん」と思いがちですが、フルタイムで働いたとして、平日10時間ほど保育園に預けて、夜は8時間寝たとしましょう。1週間(168時間)のうち、62時間しか子供と関わることができません。仕事が終わった後の疲れた体で子供と密にかかわらなければいけません。すごく大変なことがわかりますよね。

また、子供は2歳ごろまで性格がわかりづらい生き物だなというのが実際に子育てしてみてわかりました。0歳のうちからその子の性格のようなものはうっすらとみえてはいますが、自己主張がうまくいかないのです。好き嫌いはあまりはっきりしませんし、物事の反応も曖昧です。2歳になってから好き嫌いを自分で自覚し、きちんと表現することができるのです。そこから3歳までの1年できちんとその子に合った関わりを模索することで、幼稚園に入ってからの生活に備えられると感じました。

3.子供への愛情を育む
母性本能というものが多少はあるので、どんな母親も子供の世話がしたいと思うものです。しかし、深い愛情というのは生まれてすぐにできるわけではないと私は思います。というのも、私は妊娠する前は「子供に人生を捧げるなんて嫌だ」なんて思っていました。しかし、今は「子育てに後悔は残したくないから、せめて10歳になるまでは子供に尽くそう」と思えるようになりました。なぜ、ここまで変わったのかと言うと、娘が私を変えてくれたからであり、私が娘の世話をきちんとしたからだと思います。きちんと仕事をしてみないと、その仕事の責任に気づけないのと同様、育児も一度真剣に向き合ってみないと、その大切さに気付けないのです。

子供が2歳近くになって子供との深い絆が生まれたとき、ようやく「子供にいくら尽くしすぎてもいいんだ」という考え方になることができました。ところが、子供が1歳になったところで私が働きに出て行ってたとしたら、これに気づくことはできなかったと思います。

大人なら初対面の人といきなり共同生活をしたら相手を信頼したり、好きになることはできないとわかるはずです。子供だってそうです。赤ちゃんは反射で笑顔を向けてくれますが、それは親のことを好きになってるからではないと思います。世話をしてもらって初めて相手を信頼し、愛情表現をしてもらって初めて相手を好きになると私は考えています。

そして、子供に根気よく尽くすことで、時間をかけて子供は親の愛情に答えてくれるようになります。初めは食べなかった離乳食も気づけば幼児食になり、食べられるものが増え、夜寝なかった子もいつの間にか安心して寝られるようになる。すぐには結果が出ない煩わしさはありますが、子供はきちんと親の愛情に答えてくれます。それを通してより一層親は子供を愛することができる。やはり、真剣にお世話をしなければ、子供に愛情は湧いてこないと私は考えます。

4.子供の個人差に対応した安全管理ができる。

乳幼児は子供一人一人の個人差があり、特に乳幼児期は自己の危機管理能力が甘いので、窒息や誤飲、転落など命に関わる事故を起こしやすいです。だから、安全で事故の起こりにくい環境を作ってあげないといけません。しかしながら、いつまでも事故が起こらない安全な環境にいさせるわけには行きませんし、粥状の食形態をつづけていると、保育園や幼稚園で普通の食事が出た時に窒息してしまいます。程よく危険な環境に慣れさせていかないと子供は成長しないのです。

事故を起こさず、かつ子供の危機管理能力を育むためには、命に関わる事故が起きない程度に少し危険なことをさせたり、転んで痛い経験をしてもらわないといけません。低めのベッドの上を自由にハイハイさせて足から降りることを学んでもらったり、大人がすぐそばで見守った状態で階段の上り下りを自由にさせて、踏み外すと危ないことを学んでもらったり、やけどしない程度の熱いものを触らせて、「熱いものは触らない」ということを学んでもらったり、食事もかむことを身につけたら、しっかりと見守った状態でプチトマトを半分から丸ごとにしてみたり、茹でた枝豆が食べられるようになったら、ピーナツも試してみたりと、「その子を観察し、程よい危険な状態に徐々に慣らしていく」ということが必要です。日々の安全管理能力の育成が大切なのであり、3歳になって突然ベビーサークルがいらなくなるわけではないですし、プチトマトが安全に食べられるわけではないと思うのです。

ところが、保育園に預けっぱなしにするとどんなことが起こるでしょう。保育園は事故を起こしてはならないので、子供が転落しそうな場所には連れて行きませんし、食形態も窒息させないようなものばかり与えます。さらに、母が普段の子供の様子を観察することができないため、現在自分の子がどれだけの身体能力があり、どれほどの危機管理能力が備わっているのかもわかりづらいと思うのです。どれだけ学ばせようとしても危機管理能力が身につかない子に対しては、大人が事故予防策を個別でとらなければなりません。やはり親による、責任の伴った観察がないと、子供を預けた際に事故が多くなってしまいます。

以上が私が3歳までの育児を大切にしたい理由です。

本格的な育児は10年しかできない

見出しの通り私は10歳までの育児が本格的な育児だと考えています。10歳以降は親は見守ることが中心になっていくものだと思っています。10歳になると子供は自分の頭で考えるようになり、親の主張を疑ったり、反抗してしまいたくなるからです。その年までに深い絆ができて、なんでも言い合える関係性ができていればいいのかもしれませんが、必ずしもそう行くとは限りません。今まで適当に子育てしていた親が10歳から躾ようと思っても、ほとんど話を聞いてくれなくなってしまいます。だからこそ、私は躾や教育など必要なことは10歳までに叩き込んでおかねばならないと考えています。

理由としては、自身の経験からです。私は幼少期、長男の受験や次男の不登校に両親が振り回され、さらにストレスを抱えていた母や兄たちからキツくあたられていました。しかし、10歳までは「家族に甘えたい」という気持ちや自分の気持ちをうまく表現できない気持ちから家族に反抗しませんでした。しかし、11歳になった途端成績が下がり、親から勉強に関して干渉されるようになりました。「今まで私のことなんかほったらかしだったのに、私の成績は気になるのか、この人たちは私のことなんかどうでも良くて、自分たちの世間体のことしか頭にないのだ」と感じた私は、その日以来両親からの注意は全て「私のために言ってるんじゃない、自分たちのプライドが許せなくて注意をしてきているんだ」という不信感が強く、何も聞き入れませんでした。

両親にも兄にも強く反抗するようになりました。家族は今までお利口さんにしていた私が急に反抗的になったので優しく接してくれたこともあったのですが、「私のことが心配なんじゃない、嫌われたくないから急に優しくなったんだ」と完全に疑心暗鬼でした。当然家族も私のそんな攻撃的な態度に疲れ果て、愛想を振り撒くことをやめました。家族のことなどもう一才信頼できなくなった私は、家族から遠ざかるように進学を機に家を出ました。

私は今思えば、父と母にきちんと向き合って欲しかったのだろうと思います。父は自身のコンプレックスを子供に解消して欲しくて、私たちに勉強することを強要してきた上に、家に帰るといつもイライラしていました。自分の中での理想と現実のギャップに苦しみ、そのイライラを母にぶつけてきました。母もそんな中で余裕がなくなっていたのです。私は母に気に入ってもらいたくてお利口さんにしていましたが、それでもストレスを抱えたまま生きていました、常に周囲の顔色ばかり伺っていたので、自分でもどうしたいのかがわからずにいました。お利口になればなるほど母は私にかまってくれなくなりました。ほっといても大丈夫だと思われてしまったのでしょう。両親は私に興味なんかなさそうでした。だから、小学校高学年になって、私の成績が急に気になり出した両親は私のことなんて全くわかっていなさそうでした。悩みをうち開けてもトンチンカンなアドバイスしか返ってきませんでした。今でもあまり両親を頼る気になれずにいます。

脱線してしまいましたが、「10歳までの育児」で後悔を残すと、そこから矯正することは非常に難しくなるのです。(それでも子供がきちんと自立できるよう、親は決して育児を諦めてはいけませんが…)私が両親の言うことを全く聞き入れなくなった理由は両親からの愛情不足であったと感じています。子供が親の言うことを聞くようになるためにはまずは親が子供の言うことをきちんと聞き入れ、それにきちんと答えなければならないと私は考えています。もちろん、わがままを全て聞き入れてはいけませんが、子供の特徴や好きなことをきちんと把握することで、信頼は生まれると感じました。

親自身のために子育てをしよう

2年しか育児をしていないのに、偉そうなことを書いてしまいましたが、私は育児について、「育児に正解はないし、育児で子供の人生が決まるわけではない」と考えています。私の兄2人は自立していませんが、100%親の教育が悪いからそうなったわけではないと思います。両親なりに正解を選んだつもりだと思っています。

「真剣に育児してもダメな時はダメ、だから気楽に育児をしよう。」そんな考え方もありだと思ってますし、私自身も以前はそんな考え方をしていました。しかしながら、私は「子供の育児で後悔を残したくない。子供が成人になった時に『育児をやり切った』と言う気持ちで送り出したい。」という気持ちに変化しました。育児を真剣にやり切ることは親自身のためなのです。

幼い子供は親に頼らないと生きていけないので、親の前ではお利口にしてしまいがちです。だから、ある程度大きくなってみないと自分の育児が正しいのかどうが評価することができない。その結果、3歳までの育児は甘えてしまうことがある。しかし、その3年間を真剣にやり遂げれば、子供から「ママは頼っていいんだ。ママの言うことはきちんと聞こう。」と思ってもらえる絶好のチャンスだと思うのです。

一度大人になった子供は2度と小さくなったりはしないのです。一度心を閉した子供の心は、打ち解けるまでに長い時間を要します。18年という長い育児で良いスタートダッシュが切れるようにまずは3歳までの育児を大切にしてみませんか?





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