生き急ぐ日々に膝カックン。勇気を出してのんびりしようか。 『TAKESHIの、たかをくくろうか』 #わたしの好きな歌
日々の振れ幅が大きすぎて疲れる。
新年早々に激甚災害に見舞われた石川県・能登に、今度は無慈悲な大雨が降っている。と同時に報道される大谷翔平の絶好調にも心躍る。ちょっとゴミ出しに行っている間にホームランか盗塁かどちらかを決めている。
そういえば新しい国のリーダーが今週決まる。とても大事なことのはずだが、私に自民党総裁選の投票権はないのでぶっちゃけ関心は薄い。「首相になってほしくない奴」はすぐ浮かぶが「首相になってほしい人」はよくわからないし、誰がなってもすぐ嫌いになる気がする。
てか国のトップより、自分の毎日のことのほうが大事に思えてならんのよ。三連休の最終日なのに「明日はなんの会議があるんだっけ?」と考えたくもないことが頭をよぎる。情報過多な現代社会では10分に1回は一喜一憂してしまう。マクロな世界に対しても、ミクロな世界に対しても。
そんな毎日の振れ幅の大きさに疲れたとき、「ふぅ」と力を抜いてこの歌を聴く夜が増えた。
『TAKESHIの、たかをくくろうか』は深夜ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』のエンディング曲だったらしい。
「エンディング曲だったらしい」と書いたのは、私は世代ではないのでWikipediaで見つけた情報をそのまま鵜呑みしているからだ。
私にとってビートたけしといえば「天才映画監督・北野武」の印象が強い。または『奇跡体験!アンビリバボー』でなぜかスタジオに一切現れず、色々な角度のカメラに向かって「果たしてジェニファーはどこに消えてしまったのか?!」みたいなことを言って次のVTRを煽るオジサンという印象である。
しかし爆笑問題の二人がこのオールナイトニッポンがどれほど伝説的だったかを何度もカーボーイで話していた。それこそWikipediaを読んでいると、こんなに面白い番組があったなら聞きたかったなあと、音源残ってねえのかなと思わざるを得ない。ビートたけしが「ラジオの人」だったことを私は知らなかった。
でも私は『TAKESHIの、たかをくくろうか』をなぜか知っている。その出会いは偶然にも「ラジオ」だった。名前は完全に失念してしまったが、アトロクのライブコーナーに出演していた女性アーティストがこの曲のカバーを披露していてそれで知った。
ビートたけしの歌といえば『浅草キッド』があまりにも有名であり、これが名曲と評価されることに異論はない。
とはいえ芸人ではない私が『浅草キッド』を聴いても、苦労しつつも夢を追う芸人に自分を無理やり投影しないとその魅力に浸れない部分もあって、うまくいえないが「私のための歌ではない」と思うことがたまにあった。そもそも作詞作曲が本人だし、あの歌は「芸人のための歌」とか「夢追い人のための歌」ではなく「ビートたけしによるビートたけしのための歌」だと思う。
・・・まあ、そうはいっても『浅草キッド』はいい歌なので、深めの晩酌のときや過酷な残業の帰り道に時々聞いて、その都度まんまと泣かされてはいたんだが。
ただ、ビートたけしが『浅草キッド』以外にも歌を歌っていたことはあまり知らなかった。だからアトロクでその女性アーティストのカバーを聞いたときには結構おどろいた。そしてオリジナル楽曲にたどり着き、いまではとても大好きな歌のひとつになっている。
何がこの曲の良さか。それは歌詞に尽きる。
作曲は坂本龍一。メロディーや編曲も好きであるが、谷川俊太郎の歌詞と相まって牧歌的でささやかな幸せに浸れる。
1980年代、ビートたけしは「ツービートのたけし」から一人のタレント・ビートたけしとして頭角を現した。
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』『オレたちひょうきん族』など、いま大物芸人と呼ばれる世代が子供の頃に憧れていた番組に数多く出演し、多忙を極めていたに違いない。
映画監督・北野武の歴史を紐解くと、この時代の多忙さで味わった「やりきった感」が『ソナチネ』の気怠さや現実逃避の欲求、そして自己破壊願望を生み出したのではないかと思う。
そんな多忙を極めていた頃のビートたけしが歌う『TAKESHIの、たかをくくろうか』はとにかく「のんびりしている」。テンポが遅いという意味ではもちろんない。いつのまにか昼寝をしてしまったときの「のんびりさ」である。
歌詞は1番で「世界について」、2番で「人間と時間(若さや老い)について」、3番では「人間の心について」語っている。
そう書くとシリアスな歌なのかと思ってしまうが、この歌の魅力は「でもそんなこと寝たら明日には忘れているよ」と言っているところにある。いわば眉間に皺を寄せた忙しい人々に「膝カックン」をして脱力させている歌なのだ。
特に3番なんかそうだろう。汚れた感情を持って、そんな自分が嫌になって美味しくないビールにも手を出すけど、でも明日には忘れているから大丈夫だよ、と言ってくれる。明日はきっと、もう顔も見たくないと思った人に平気で「おはよう」と挨拶をしているはずだよ、と。
でも「のんびり」には勇気が伴う。この現代社会、休日なんてあってないようなもんだ。「人間力」なる不思議な言葉が横行し、休みの日にも自分をアップデートするための努力をしなければと焦る。「人間力のある何者か」になりたくて、興味はないが会社がやれというから英会話のレッスンを受けたり、いつでも転職できるように資格の勉強をしたり、我々はずっとずっと忙しい。
昼寝のしすぎは認知症のリスクが高まるなんて脅し文句を聞いたことがあるが、昼寝をしすぎたときはそんなことより「貴重な休日を無駄にしちゃった~」という罪悪感のほうが先に襲ってくる。慌てて家事・炊事をこなしていたら自己研鑽の時間など残らない。「のんびり」して気まずい気持ちになったことのない現代人は珍しいと思う。
でも大丈夫。のんびりしてても大丈夫。
わかるよ、勇気がいるよね。
ダラダラ生きるのは勇気がいるよね。
だから勇気を出してのんびりしましょう。
谷川俊太郎はその価値観をたったワンフレーズで仕留めたのだ。
慌てずゆっくり明日も頑張ろう。でも頑張らなくても何とかなるさと「たかをくくろう」。世の中ってそんなものだろう。知らんけど。