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Vtuber『黛灰』という現代アートの完成

※本記事は2022年の夏ごろに書いたものになります。下書きになぜか眠っていたので供養のために投稿します。


蝉の声が耳をつんざき、夏の香りを感じて立ち止まった時に、心のどこかでさざ波が立っている。
寂しげな波音に耳を寄せ、一丁前に感傷に浸った気になりながら、ふと考える――この波はいつか凪いでしまうのだろうか、と。


春が終わりを迎える頃、私はVtuberを深く知るようになった。その経緯などは過去のnoteにて記載しており、7月の初めには下記のような6月のVtuber履修備忘録を出すつもりだった。

ちなみにこの記事、まだできていない。

しかし、そんな計画は見事に破綻する。

2022/7/2

夏の訪れとともに、一つの報せが届いた。

2022/7/28をもって、にじさんじ所属バーチャルライバー黛灰の活動を終了する。

引退でもなく、卒業でもなく、活動終了。
呼び方は個人に任せると本人は仰っていたが、私は本人の認識に順守して活動終了という言葉を使っていきたい。

お知らせの中で、活動終了にあたり、7/3から毎日配信あるいは動画投稿が行われるとの通達があった。

正直な話をすると、私はこの日、Vに明るくない友人と通話しており、この配信を直接見ていない。ご本人が7月の予定を出すと仰っていたので、後で確認してみよ~企画とかコラボとかいっぱいあると嬉しいな~と呑気なことを考えていた。なので、友人との通話中にたまたま見たTwitterでとんでもないことが起こっているという雰囲気を知り、友人との通話後、慌てて配信を見た。

活動終了と知った時、最初に出た一言は「やっぱりかあ……」だった。

今でこそ、パブリックサーチを行うことはないが、にじさんじというかVにハマりたての私には明らかにインプットが不足しており、パブサで補おうとしている節があった。(その結果、精神が汚染され、自身にパブサ禁止令を出した)
きっかけこそ覚えていないのだが、黛さんをパブサした際、真っ先に出てきたのが引退というサジェストだった。
どういうこと?と思い、深淵を覗いてみると、引退してしまうのでは?と思っているファンの方々、野次馬半分でツイートしている人間が口を揃えて「最近ボイスを出していないから」と呟いていたのを覚えている。
にじさんじには他にもボイス出してない人はいるのでは?
当時の私は無知にもそう思った。しかし、この1ヶ月という短い期間に黛灰というVtuberを追いかけた私ですら分かるほどに、彼はボイス作品に対して真剣に向き合っている。そんな彼がボイスを出さなくなったというのだから、ファンの方々の不安も納得できた。(とはいえ、本人の目に届いてしまう形で吐露するのは個人的にどうかと思う。どちらにせよ結果論だが)

そんなわけで、「やっぱり」という気持ちは、納得というか答え合わせに近い感覚だった。

Vtuberという敷居

私は黛灰というVtuberを推しているわけではない。
そして、彼のファンを名乗るには私自身が彼を知らなさすぎた。
しかし、黛灰というVtuberは私にとってVtuberへの敷居を下げてくれた存在の一人に他ならない。
理屈を並べないと好きを素直に名乗れない私の、これだけが嘘偽りない本当の事実だ。

前回のnoteで少ししか触れなかったが、にじさんじをぼんやりとしか知らなった私が配信アーカイブを見れていたのが社築さんと黛灰さんだった。
発熱状態だったのでどんな内容のものを見ていたのかは覚えていないのだが、それでも心地よい配信だったことだけは覚えている。
熱が下がった後ににじさんじのライバーの配信アーカイブを見てみよう!と素直になれたのは彼らの影響が大きいだと思う。
なんというか、無意識に気を許したというか、Vtuberへの心の殻を解してくれた存在なのだと思う。

そんな存在だった黛さんの活動終了を受けて、「やっぱり」と理解しながらも、すぐに納得はできなかった。
悲しかったのか、寂しかったのかは分からない。分からないがそのすべてでもあり、そして悔しくも思っていた気がする。
それでも、会社との話し合いを経て、決まってしまったことは早々に覆ることはない。
他のライバーさんを通してぼんやりと認識していた黛灰というVtuberは黛灰であることに真摯で、誠実だ。
そんな彼が、リスナーに活動終了を伝える決意と2022/7/28まで走り切るという覚悟を見せてくれた。
ならば、私の取る選択肢は一つ。私も全力で黛灰を追うだけだった。

好きなソロ配信・関係性

黛灰を追うということは具体的にどういうことだったのだろうか?
彼が活動を終えた今、ふと考えることがある。
約3年もの間、彼が紡いだ配信をたった26日で追うのは不可能だ。だから、発表受けてから終わりまでの配信を可能な限り生で見ると決めた。
正直な話、何がそこまで私を動かしたのか、今でもよく分からない。
理由を無理矢理言語化するなら、きっと、私は黛灰を少しでも理解してから、彼を見届けたかったのだと思う。
多分、見届けたという実感が欲しかったのだろう。2022/7/29以降も、Vtuberを応援し続けられるように、Vtuberを好きでいられるように。

黛さんの配信を追いながら、過去の配信アーカイブも少しだけ観た。(黛灰の物語として提示されているものは割愛させてもらう)観たものの中で個人的に好きなソロ配信や関係性などを印象とともに下記に挙げさせてもらう。

好きなソロ配信

黛さんはクールなキャラクター性を仮面とした面白さに貪欲な方という評価が多いのを見受けるし、その面白さへの追求はコラボ配信や企画などで遺憾なく発揮されていると思う。実際に私もそうだと思うが、私が黛さんの配信で魅力を感じているのは、ゲームを通して黛灰の価値観を紐解かれていく様子だ。
黛さんはソロでインディーズゲームをやるとき、リスナーに投げ掛けながらも、独り言のように言葉を紡いでいく。一人でカフェに来ているような感覚や雨音を聴いているような感覚に近い。

ベストオブベスト。黛灰の魅力全盛り配信。黛灰が考えるVtuberの価値観みたいなものがいたるところに散りばめられていて、解像度がめちゃくちゃ上がる回。

配信タイトルが良すぎる!と思ったらサムネがクソダサかった回。ゲームに合わせた配信との雰囲気づくりが印象的。

この配信に限らず、黛さんは死生観の話をちょくちょくされてらっしゃる印象なんだが、ゲームの雰囲気も相まってストンと落ちて来たのはこの配信だった。


あの伝説

黛さんはにじさんじという箱の中で多くのライバーさんと関わり、箱外のライバーさんや配信者さん、クリエイターさんとも関わり、それぞれのバーチャル世界が交わり合い、縁を結んでいる。
彼が誰にでも好かれるタイプかと言われると、そうではないと私は思うが、それでも彼を慕い、彼を尊敬し、彼に影響を受けた活動者は多かったのではないかと先の生前葬を見届けてそう思った。

そんな多くの人と繋がりをもった黛さんが築いた関係性は、どれもこれもが魅力的だ。温かさというか、温度感というか、インターネットを介して覗いている彼らにも血が流れていることを深く実感できる喜びみたいなものがある。
黛さんと●●さんのコンビが好き!ユニットの●●が好き!
この●●に入る名前は、必ずしも固定のものではないだろう。

私はあの伝説というチームが大好きだ。
にじさんじではない他の事務所であるぶいすぽっ!の女性Vtuberである一ノ瀬うるはさん、彼女の友人でにじさんじの女性Vtuberのラトナ・プティさん、同じくにじさんじの男性Vtuberの黛灰さん、そしてコーチとして元プロ選手のあれるさんで構成された4人のチームだ。
※当記事では一ノ瀬さん、プティさん、黛さんの三人にスポットを当てるため、以降三人の関係性の話をあの伝の話とさせていただく。

私はすべてが終わったあとに黛さんを知ったので、当時の問題や葛藤などは『既に起こったこと』として知ることしかできない。
一ノ瀬さんが初めてのリーダーとして苦悩と辛酸を舐め続けたことも、プティさんが陰ながら一ノ瀬さんや黛さんのフォローをし続けたことも、黛さんが二人に感化されてゲームで『勝ちたい』と本気で思うようになったことも、すべて終わったこととしてしか知ることができない。
それでも、三者三様にこのチームを大切に想っていることはよく分かった。大会が終わったあとでも時折集まっていた三人の姿を見て強くそう思った。


黛灰はもういない。
にじさんじの公式ホームページから名前が消え、Youtubeで配信が行われることはなく、Twitterが更新されることはない。
しかし、私の中に、リスナーの中に、皆の中にいる彼だけが生き続ける。
彼によって空いた穴を見て見ぬふりするには、彼はあまりにも多くの人のなかに生き続けている。
無理に穴を塞ぐことはせず、このぽっかり空いた穴と一緒にひとりで生きていく。
他者に黛を重ねることは、黛を前に進みゆく人の足枷にすることは、彼が何度も口にした彼が望まぬ未来だ。
だから私は、これからもひとりで黛灰という存在に想いを馳せるのだろう。

彼が旅立ったとしても世界が止まることはなく、時は流れていく。

黛灰は何処にでも在り、そして何処にもいないことを悟りながら、今日という一日を生きていく。


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