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明日死ぬかもしれない
明日死ぬかもしれない。
僕が死んだら、世の中何か変わるだろうか。
きっとほとんどが変わる事が無い。
ただ、恋人と家族と親友の事が頭に浮かんだ。
きっとこの人達は悲しむだろうな。
これは、僕のエゴなんだけど、みんなに遺書を書いときたいなと、ぼんやりと思う。
金銭がどうこうとかは、親の意向に任せるとしてさ(まだ大した貯蓄は無いし)みんなが僕の事いつかは忘れるとしても、しばらくの間は覚えててくれるだろうから何か言っときたい。みたいな気持ち。これまでの感謝とか、ちょっとしたお願いとか。遺書なんてきちんとした物と言うよりは手紙って感じか。
自分は、母親から最後に手紙を貰うことも無かったし、最後の時に会えなかったし、何か言っても貰えなかった。その事をまだ引きずってる。何か言ってくれてたら、手紙があったら、それを思い出したり読み返して反芻できたし、目標にしたり何かしたかもしれない。でも、未だに死んでしまったという事実を理解しただけで母の死をどうにも咀嚼出来ないでいる。
僕が大切に思ってる人達が、今の僕みたいな気持ちになるのは嫌なんだ。
手紙を残す事で、僕という存在を上手く天に昇らせてくれないかなあ。
わがままな事を考えてるな。それを決めるのは僕じゃなくて、残された人なのにな。
あぁ、死んだらみんなの記憶からぱっと消えてしまえたらいいのにな。
そしたらら手紙を残さなくてもいいし、みんなが悲しむこともない。存在無くなっちゃえば、死んでいくほうも安心して死ねるよ。
最近のしんどかったり、だるかったり、痛かったり。
痛みって、生きてるのを感じる。
でも、同時に死も意識する。
明日死ぬかもしれない。
前向きに生きる為の言葉として使われる事があるけど、僕の場合は本当に死ぬかもしれないからさ。笑えない。
これでも毎日、必死で生きてる。
だって、まだ生きていたい。
明日も明後日も、来週も、来年もその先も。
あと、50年は生きたいんだ。
大好きな人の横を歩きたいんだ。寄り添って、手を繋いで、僕が、僕たちがやりたい事をやらなくちゃ。
そして、恋人より長く生きるって約束を守りたい。
恋人、家族、親友に宛てて、手紙を書いた。
どうか、この手紙がずっとみんなの手に渡りませんように。