あるを見つけることが出来る人
ないを見つけることはいくらでも出来る。
お金がない。時間がない。暇がない。
もしもあれがあったらいいのに!ってたくさん思い浮かべることが出来る。
反対にあるものを見つけることは意外と難しい。
もう既にあるもの。当たり前のもの。
もう、そのものと一体化しているから、あるとかないとかではなくなっている。
だから、一度なくして、あるを知るというようなことをしなければならない。
なくすと、あるが出てくるなんて逆説的。
でも、普段はそんな風になっている。
この本で贈与という考え方に気が付いてから、少し世界の見え方が変わった。
気長、冗長性に価値を置いてみる。
何でも、スピードを求めて、結果が出ないと、止めてしまうことが多いけど、贈与が成立するには取引ではなく、長い年月が必要なんだ。
それが、文化や歴史というものだと思う。
消費や取引では決して得られないもの。
人間余裕がなくなると、直ぐ結果を求めたがる。
直ぐ効果が出ます!というキャッチに弱い。
でも、これから本当に必要なものは、何かを取引で得ていくということではなく、あるに気づける感性、贈与を成立させることが出来る力なんだと思う。
贈与は受け取り側が主体である状態。
受け取る技術がものを言う。
受け取ることは受動的だけど、そのあり方が能動的であるような状態。
正直、なかなか難しい。
でも、こういうあり方が本来の女性性的であると思うし、あげた方と受け取った方が等価的だなんて、なんて平和なんだと思う。
これまでの、男性性的、損得勘定から、女性性的、贈与へ価値観がシフトしていかなければならない。
損得勘定はどうしても勝者と敗者を生み出してしまう。
そのために、あるを見つける人になるのだ。
じっと、気長に、待って、あるを見つける人になるのだ。
普通考えるイメージとは逆な気がするけど、それが本来の能動性なんだと思う。