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自分化していく日々 23/365
僕が何をしているのか?
何をこだわってやってきたのか?
そういったことを考えてみると、僕はずっと自分化したかったんだと思います。
自分化なんて言葉は一般的にはないのかもしれないけど、自分になっていくということをしたかったんです。
えっ!自分は自分でしょ?
何?自分化って?
と、思われる方もいるかも知れません。
そういう人は自分であることが当たり前だったんだと思います。
でも、僕は違った・・・
思い返すと、やっぱり学校かなと思います。
学校という場所で自分を切り離していく作業を散々しました。
でも、その当時はそれが成長するということだと思っていたし、それによって自信をつけていったことはあったと思います。
一度、自分から離れてみた訳です。
もし、それで問題なく生きていければ全然問題ないのです。
しかし、自分の奥の方から何かがメラメラと湧いてくるのです。
自分を忘れたくない。自分でありたいって。
基本、それとの戦いです。
時には面倒臭くなって、徹底的に自分以外に操縦桿を握らせようとしたこともあります。
でも、暫くすると、結局自分の奥の方から、これでいいのか?と疑問の声が上がります。
これが抑えきれず、何度も何度もこのやりとりを繰り返した、そんな若い時代がありました。
常にしていたことは、自分化です。
他人化ではなくて。
自分化しつつ、社会で生きていくにはどうしたらいいのか?
それを追い求めてきたのかも知れません。
今、振り返って思うのが、自分化というのは主体的な在り方として絶対必要だと思います。
在り方は何をやるにしろ、ずっとついて回ります。
自分化を意識し続けないと、どんどん世界自体が変わってしまう、そのくらい大きなことだと思います。
わたしたちはそれぞれの認識の延長に世界を見ます。
その認識の形態が自分化出来ているのか、他人化しているのかで、全く違うものなるんです。
存在の形、世界の受け取り方、それによって生み出される感情。
わたしたちは普段の生活の中でそれを豊かに感じることができる筈です。
でも、他人化してしまうと、日常の世界、その時間がまさに他人のもののようになり、生気をなくすのです。
それを補うために映画を見たり、ドラマを見たりするのですが、本来はそこで味わう感情は日常にあります。
ディスプレイの前でしか、感情が動かないなんて、悲しすぎる。
わたしたちの命は感覚と共に、感情を持って、この見えている世界で輝きたがっています。
そのことは誰も説明されなくてもわかるはず。
今見ているその現場、今感じているその感情は、他の誰かが変われるものではありません。
人と比べることはないです。
きちんと自分自身を大切に扱うこと。
そういう自分化をコツコツ進めていかないと、気がつくと、世界の在り方が周りにとって都合のいいものに変えられていく。
そんな時代を生きています。
あなたにとっての、一番はあなたらしさの延長にある世界。
無理はしなくていいから、出来ることをコツコツ重ねていくことですね。