高円寺 こぎく荘209
東京上京二年目、フリーターだった僕は杉並区高円寺の古い木造アパートに住んでいた。
風呂無し家賃三万四千円。まさか、東京で風呂の無い部屋に住むことになるとは。
高校時代トレンディードラマで見ていた、煌びやかな東京生活は幻と消えた。
上京して直ぐに住んだ中央線沿線の国立。自然に恵まれ良い場所だったが、いわゆる東京らしさは感じられない。せっかく東京に住んでいるのだからと、都心に近づいた。すると必然的に家賃は高騰。そして、風呂を諦めた・・・。
気が付けば3年間ここに住んでいた。
正直彼女を招くにも体裁が悪かったし、いつかはここを出てマンションに住んでやるという意気込みで住んでいた。
なぜ、生活費をこんなに切り詰める必要があったか・・・
それは大学時代の奨学金。奨学金は自分の口座に入ってきていて、自分で考えて生活費に使っていた。その分は卒業後の返済プランにあった。しかし、大学4年の秋、実は親の口座に入っていたこちらは教育ローンの返済もあることを知らされる。想定の倍の返済額だった。
その時、通常の東京生活は諦めねばならないと思った。
どこかを我慢せねば。それで住む部屋を我慢した。
更にこの時期にそんな大金ではないけど詐欺にあい、踏んだり蹴ったり。
一番、お金に苦労した時期だ。
今、思い返すと良く乗り越えたと思う。
この部屋に住んだ1年目。エアコンが無い部屋だったから、夏は蒸し風呂状態。窓も開けるから蚊がたくだん入ってくる。夏は地獄だった。
さすがに2年目の夏はウインドエアコン買って取り付けた。その時、部屋を駆け抜けた、爽やかな風を今でも覚えている。
時代は90年代後半。CDが良く売れる時代で、流行歌をカラオケで歌うという遊びが若者の遊びの中心。カラオケは安くて、みんなで楽しめる遊び。大いに歌い、遊んだ。
社会全体がなんとも刹那的だった気もする。90年代後半は終末思想なんかもあり、そんな危うく、でも希望を感じるような時代の雰囲気を浜崎あゆみ、GLAY、ラルクアンシエル、宇多田ヒカルなどが歌い、僕らもそれに熱狂していた。あの時代の、あの雰囲気は同じ時代を生きた人にしか分からないかも知れない。
お金は無かったけど、街はパワーを持っていて、楽しめる場所、楽しめる仲間、楽しめる仕事があった。それが若さというものか・・・。
お金が無かった時代を思い浮かべると思い出す、こぎく荘。
家賃を節約して、住みたい街に住んでみて良かったと思う。
今でもその街の雰囲気が肌に染みつき、記憶されている。においを覚えている。
高円寺の焼き鳥屋さん、銭湯、ラーメン屋、定食屋、商店街、レンタル屋、カラオケボックス、駅の近くでストリートライブもやった。自転車で新宿まで通勤、遊びにも行った。
ひとつひとつが懐かしい。
時代は変わり、移ろう。
あれから20年も経ったから、高円寺も随分変わったことだろう。
当時は月々の返済やお金のやりくりが大変だったはずなのに・・・
楽しかったことしか覚えていない。
まじで、覚えていない・・・
人間はそういうものなのかもしれない。
自分に都合のいいことしか、記憶に残しておかない。
忘却という素晴らしい装置を兼ね備えている。
最も、経済的に厳しかったはずの高円寺こぎく荘時代。
お金も無かった、誇れる仕事もしてなかった。
なのに、振り返ると青春の一ページとして燦然と輝いている。
きっと、今のこの時代、コロナコロナで大騒ぎしているこの時代のことも、おじいちゃん位になったら、輝かしい思い出として思い返すだろう。
ああ、あの頃に戻りたいなんて思うだろう。
落ち着いたら、懐かしの高円寺に行ってみたい。