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ここしばらく、目をつぶって見過ごしてきたことがあったわけですが。

それこそ目も飛び出るような有様を、目の当たりにしてしまい。

このまま目をそらして、本人に任せた方がいいのか。

目も当てらない状況になる前に、口をはさんだ方がいいのか。

いろいろ考えつつも、さすがに目に余ったし、目をそらすのも限界だなと思って、「それはどうなのか」と指摘をしたわけです。

鉛筆を、削れ!

目にまつわる慣用句はとても多い

目の慣用句、他の体の部位と比較して、圧倒的に多いですね。凄い。
参考:https://www.weblio.jp/phrase/%E7%9B%AE_3

同じくらい重要そうな、「心」とか「口」よりも全然多いですね。これは日本特有なのか、人類共通の感覚なのか。「目は口ほどにものを言う」といった慣用句は他国にもあるみたいなので、人にとって目というパーツは、物を見るという機能以上に、コミュニケーションにおいて大事なのかも。

目端が利くとか、目が高い、とかポジティブな表現も多いですしねえ。

目をつけられる、その前に?

という話はさておき、閑話休題。

子どもの性格諸々を考慮して、身支度についてはあまり口を挟まないようにしていたつもりです。実際は結構言ってしまっているとは思うけれど、「たまに言う」くらいにしていました。毎日「ハンカチ持ったの?」みたいに言うのは身が持たない。

とりあえず「まあ、それくらいは大丈夫だろう」と「私は超気になるけれど、それが気にならないなら好きにしな」なラインにある話だったら放っておく感じです。

ただ、あまりできていないと言うのは、いわゆる「目をつけられる」状態になると思うわけです。もったいない。こういうレッテルは一回くっつくと剥がれづらい。

子どもには「君が何か先生に提案するじゃん。例えば、イベントのリーダーになりたい、とかね。その時、もしも”忘れ物をほとんどしない君”と”割と忘れ物をする君”が二人いたとして、先生はどっちに任せると思う?」という話をしました。
※ここで「え? 自分が二人いる? その状況に納得がいかない」と言うタイプじゃなくて助かりました。私のコミュニケーションスキルでは適いません。

お目こぼし、という言葉がある通り、多少の失敗に対して「まあたまにはそういうこともあるよね」で済ませられるためには、ある程度の土台(基本的に忘れ物などはしない、など)があった方がいい。その土台形成が難しいなら、それはそれで対処していく形になるかと思います。

子どもはまだ決して大きくないので、「周りからの目」を意識しづらいところがあるし、あんまり「周りからの目」ばっかり意識しても困っちゃうんですが。とりあえず、今回の「(微妙に)身支度ができない」という問題については、目に余るから目をつけられる前に対処しました、というお話でした。

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