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私の祖父と祖母


昨年から母方の祖母の家で民泊を始めた。
なので、今年は祖母の事などを書こう!と意気込んで投稿したのだけれど、何から書こうか…と迷っている。
祖母が書き残した手記が沢山あるけれど、なかなかまとまらないものだ。
だから、最近は祖母の事、祖父の事をよく考えている。

母方の祖父は会ったことがない。
私が生まれる前に亡くなってしまった。正確には、私の父と母の結婚が決まり結婚式も決まっていたが、病気が見つかり、結婚式を延期したという。でも、治る見込みがなく入院中に結婚式を挙げた。式の日だか前日だかに病院に挨拶に行くと、祖父はベットの上で布団をかぶって多分泣いていた、というような話を母から聞いたことがある。
私が生まれる約3年前に亡くなった。

私が小さい頃、親戚が集まるとよく祖父の話しになった。
その話によると中々、やんちゃなガキ大将であったらしいが、父となってからは子煩悩で、様々なエピソードがあったようだ。
家の2階から見える、遠くの山に棲む小人の話しをよく聞かせてくれたとか、県庁で働いていた時に窓から足の指を出し、外にいる子供たちを笑わせていたなどなど。
私は基本ぼーっとしていた子なので、エピソードはもっとあったが、忘れてしまった。
母の兄弟が集まると涙を流すほど大笑いして話していた。そして最後にはちょっとさみしい涙も。 

私は父方の祖父もしらず、こちらも私が生まれる前に亡くなっている。
父方の祖母とは一緒に暮らしていたが、人嫌いでなかなか難しい人だった。
私の両親は共働きだったから、祖母が私と弟の面倒をみてくれていた。孫の私達の事は好いていてくれていた。それどころか心配症が発動し、私が中学生になって部活で少し遅くなろうものなら、自分か母が途中まで迎えに出ていた。(母は祖母があまりに心配するので仕方なく…。外はまだ明るい時も!!)
中々の捻くれ者だったので、嫁にきた母は大変だったと思う。孫の私はよく祖母と母の間に入ったり、祖母に上手いことを言ってなんとか機嫌を取ったり、祖母を言いくるめたり(←言い方)したものだ。
ちょっと変わった祖母だったと思うが、私は祖母が好きだった。

母方の祖父母の話を、と思っていたが反れてしまった。


次からは
民泊すさのわ に住んでいた母方の祖父母の話を書きたいと思います。

https://susano-wa.com/

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