小説『最強のパワースポット★誰も知らない日本の神社10選』【2社目】
びりびり体験
「ゼロ磁場」って知っていますか?
柏木がそう言った。
「ナニ?それ」
僕は尋ねた。
「断層の関係で電磁場に異変が起きて、S、Nがはっきりしない所らしいですよ」
「・・?磁石がくるくる回ってしまうという事?」
「まあ、そういう場所でもあるそうです。AIに聞いてみたら、その領域内に磁力線が存在しない場所だと返って来ました」
「ふうん・・」
「地表近くで+と-の力が押し合ってお互いの力を打ち消し合っている場所だと」
「へえ・・」
「よく長野の分杭峠が引き合いに出される。パワースポットらしいです」
「ほうほう」
「中央構造線上によくあるらしいです。断層の関係で宅地には向かないから、誰もそこに家を建てない様にって「神社」とかになっている事が多いって」
「成程ねえ・・・」
「ちょっと、行ってみませんか?」
「分杭峠?」
「いや、違う。気になる場所があって」
「また、変な所に連れ込もうと言うんじゃないだろうな」
「・・・・」
柏木はにやりと笑った。
嫌な笑いだった。
僕と柏木はその週末、柏木の言う、その神社に出掛けてみた。
その地方では有名な神社らしい。
駐車場はその神社の裏手にあったから、僕たちは横の鳥居から入った。
駐車場を降りた辺りからそれは始まった。
来たなと思う。僕は掌を開いたり握ったりした。
鳥居の前で一礼をする。
本殿の裏手には小さな摂社・末社が幾つかあった。
暗い森の陰で、それは古く黒ずんでいて、僕達はご祭神が記された小さな扁額をひとつひとつ確かめて行く。
しんと静まった森の中でじっとそれを見る。
湿気と樹木の暗い緑。空気の音だけが聞こえる。
白い垂紙がふわりと揺れた。
たった一人でそれを感じる。
何を?
空気、色、湿気、匂い、静けさ。社の古びた扉。あの奥に何かがいるのだろか?
何かが『ある』?
いや『いる』だ。
何らかの意思をもって周囲から区切られた、その空間。
何かを閉じ込めるため?それとも招くため?
この感じ。
それが好きだ。何かの境界にいるのではないかと感じる。
曖昧な場所に。
気が付かない。多分気が付かないと思う。
そうやって片足をどこかに違う場所に掛けている様な。自分では気が付かない内に。
背筋がひんやりとする。ちょっとぞくぞくする気分。それでいてそこから離れられない。
何かに惹かれる。
それこそ磁石に吸い寄せられるように一点を見詰める。
「何を見ているんですか?」
柏木が言った。
僕は答えた。
「何も」
・・・・来たよ。来た来た。
柏木は目を瞑った。
指先が重くなったと思ったら、ぴりぴりと痺れて来た。
その内掌全体が痺れてびりびりとしてくる。
僕は両手の掌を擦り合わせる。
「結構強力だな・・・」
「でしょう?」
柏木はそう言った。
僕達はこれを「びりびり体験」と呼んでいる。
「ゼロ磁場では、ビリビリするらしいですよ」
柏木は言った。
「ここってゼロ磁場なの?」
「さあ・・?」
でも、ゼロ磁場でなくてもびりびりするんだけれど。
例えば「招霊木」
一円玉に彫られている。
あれ、めちゃくちゃびりびりする。
拝殿でお参りをしてそこからずっと南に延びた参道を眺めた。
参道の両側は深い社叢になっていた。
ずっと遠くに鳥居が見える。
「ちょっと、行ってみませんか」
柏木が指を指す。
「結構あるぜ」
「まあ、いいじゃないですか。折角来たのだから」
僕達はその道を歩き始めた。
両端の樹木のせいで道は暗い。所々に石灯篭が置かれていた。
小さな石橋を渡る。
僕は立ち止まった。
石橋を渡り直す。
その上で考える。
小さな堀には水はない。
きょろきょろと辺りを見回す。
周囲の木は・・・?
いや。違う。
柏木はそんな僕を黙って見ている。
僕は柏木に言った。
「ここ、すごくない?」
「そうなんですよ。ここ一番ですよね。神社の本殿よりも・・・何なんですかね」
「何もないですよね。・・祠も石仏も無い」
「・・・この水路のせいかな?」
柏木は小さな堀に沿って歩いてみる。
僕達は首を傾げながら、そのまま鳥居を抜けてみる。
目の前には川が流れていた。
茶色に濁った川の向こうはありきたりな街並みが広がる。僕達は橋の上から川を覗き込んだ。
「何でこんなに水が汚いんだ?」
「多分、底に泥が溜まっているんですよ。水自体は汚くない」
「・・・ああ。確かに。・・・・そこに鯉がいる。でかいな」
「本当だ。・・・すごくでかい」
「あんなにでかいと獲って食べようと言う気にもならないな。気持ち悪くて」
「きっと泥臭いと思いますよ」
僕は大皿に盛りつけられた泥臭い鯉の煮姿を想像した。
幅広の土手には緑の葦原が広がる。
所々に菜の花が咲いていた。
川に沿って桜並木が続いていた。
それは花曇りの空の下で薄桃色の布を流した様にどこまでも続いていた。
柏木は橋の欄干に両手を置いて前を見る。
僕はそこに背中を預けて後ろを見た。
神社の叢林の向こう側に黒い屋根が見えた。
茅葺屋根の様な・・・。
山門だ。
「柏木。そこに寺がある」
僕は寺を指差した。
柏木は振り返って後ろを見た。
「ああ・・本当だ。参道からは見えなかったが・・・」
「行ってみるか」
そう言って僕達は橋を後にして、参道に沿って植えられた叢林の向こう側にぐるりと回った。
質素な山門の前に出た。
やっぱり寺だ。
と、視線を林の方に向けて・・・。
僕達はしばらくそれから目が離せなかった。
大人の大きさ程ある石地蔵。
山門からの正面に置かれていた。
「これか・・」
僕はそう思った。
びりびりの原因は多分これだ。
場所はさっきの石橋の丁度裏辺りである。
細い叢林を挟んでこれがあったのだ。
何で、こんな所にぽつりとこれがあるのだ?
鬱蒼とした森を背中にそれは慈悲深い眼差しで僕と柏木の腹辺りを見ていた。
柏木はそこに近寄ると灰色の体に手を近付けた。
「何か感じる?」
柏木は首を傾げる。
「いや、特別・・・」
僕はそれに近寄ってそのお顔をしみじみと眺める。
同じ様にその体に手を近付ける。
手が押し返される感じがする。
お地蔵様の全身から何かがもわっと出ている、そんな感じ。
嫌な感じではない。
僕達は両手を合わせてお辞儀をした。
山門に近寄ってみた。
小さな山門から一本の長い道が伸びていた。
驚くほど真っ直ぐな道だな。
そう感じた。
道の先は本堂の中心に向かっていた。ピンポイントでその一点に向かっていた。
道は山門から中門を通りダイレクトに中心へ。
もう一方の端は石地蔵に。
そしてその道はやたらクリアだった。
何でこんなにはっきりと見えるのだろう。道の先まで。
僕は目を瞬いた。
その清澄さに・・その空間の濁りの無さに違和感を覚えた。
はっきりし過ぎている・・・。
人はいなかった。
「行ってみますか?折角だから」
柏木が言った。
「嫌だ。」
僕は即座に断った。
「行きたくない」
柏木はカラコンを通した透明な視線で僕を見た。
「何で?ただの寺ですよ」
柏木のカラコンは黒だ。
「僕は行きたくない。行きたいのなら、君が一人で行けばいい」
「大体、そこに並んでいる、あれが嫌だ。あの石仏。ずっと並んでいて・・何であんなにあるの?」
「化野念仏寺に比べれば。大した事はない」
「でも、嫌だ」
僕はびりびりと痺れる掌を擦り合わせる。
柏木はにやりと笑うと山門に向けて歩き出した。
ゆっくりと道を辿る。
本堂の中心。寺のご本尊の前に。
僕はその後ろ姿を見守る。
柏木が本堂の前でお辞儀をしているのが見えた。
そして振り返ると、彼は手を上げて僕を招いた。
僕はそれに背を向けると地蔵様の前に行ってそこで柏木を待った。
「行きたくない」と思った所には絶対に行かない事にしている。
たまに、それとは気付かなくて、嫌な場所に入り込んでしまって早々に逃げ出した事もある。
勿論、柏木に連れ込まれた事も。
あいつはどこでも平気だから。
気が付かなくて平気なんじゃなくて、気が付いているくせに平気なのだ。
柏木が戻って来た。
地蔵様の前で待っている僕を見てにこりと笑う。
「弱虫」
そう言った。
「うるさい」
僕は返した。
僕達は参道を歩いてもう一度神社に向かった。
石橋を通り過ぎる。
社を通り過ぎ、横手の鳥居から外に出た。
車に乗り込んで柏木に聞いた。
「何かあった?」
「いや、・・でも確かにゼロ磁場って感じがしました」
柏木は車をバックさせながらそう言った。
掌のしびれが消えて行く。
「適当な事を言ってんじゃねえよ」
僕は言った。
柏木が一瞬、僕を見た。
あれ?
柏木が慌てる。
片目のカラコンが落ちて、青灰色の透明な瞳が僕を見る。
柏木は慌てて衣服の辺りを探す。
僕も探す。
見当たらない。
諦めてダッシュボードからサングラスを取り出す。
駐車場から車を出しながら彼は言った。
「ゼロ磁場か何だか分からないけれど、あそこに何か走っていますね。・・・『淵』ですかね。
亀裂と言うか・・・。あの石地蔵、真っ直ぐに寺に対峙していたでしょう?あれ、見張っているのかな・・多分、地蔵と寺のご本尊と道の両脇の石仏。四方固めてある。一瞬、消えましたよ。ピリピリも何もかも。音も。自分の足音さえも」
僕は運転をする柏木の端正な横顔を見る。
「・・・嘘を吐くな」
そう言った。
柏木は前を見たままふふふと笑った。