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2021年の良かった映画 新作10本 旧作4本

※12月30日追記
もともと新作7本であったところ、更に3本追加し、新作10本で確定版とした。
新作7本→旧作4本→新作3本となり順番が前後してしまうが、追加分は最下部。

鑑賞本数158本。
内訳は、新作80本の旧作78本。
昨年から地方に越したのもあって、日常的に通える範囲の映画館はTOHOが一館とミニシアターが一館。映画館に行く回数はやはり減った。50回も行ってないかもしれない。新作も配信公開ものの割合増。
今月後半に見たものに関してはまだ評価保留として(後日追記予定)、現時点で新作7本、更に配信で観た旧作から4本選んでベストとする。

以下、ベストワン以外は順不同

ノマドランド

確かに、こういうノマドの状況に望まずして追い込まれている人々もいる中で、それを善きこと・美しいこととして描いていいのか?という問題点はある。
ただ、そこってクロエ・ジャオ監督作を観るにあたって呑み込まざるを得ない部分なのかなとも思う。『ザ・ライダー』にせよ『エターナルズ』にせよ、「あらゆる生の在り方が美しい」という価値観は感じるところだし、実際、それは本当に美しい映像として仕上げられている。
少なくとも自分は、質的に、映像作品として提示された現物を観たとき、それを呑み込み辛いとは感じなかった。

こちらでも書いたけれど、ノマドの婆さんが語る「もう充分」のシーン、あれは今年見た映像の中でも最も強く印象に残っているもののひとつになった。


ラブ&モンスターズ

ネトフリ映画。
地上がモンスターだらけになり、生き延びた人々は地下シェルターで暮らしている。あるシェルターの料理担当の青年が、130km離れた別のシェルターにいる恋人のもとを目指す。
130kmというのはアメリカのロードムービーとしてはめちゃくちゃ短いよな。でもその小さな世界の中に美しさや鮮やかさが凝縮されているのがいい。パーソナルで小規模だけれどかけがえのない冒険。
個性豊かなモンスターの描き方はどれも楽しく、自然の美には目を奪われる。
王道アドベンチャーを真っ直ぐにアップデートした、気持ちの良い映画だった。


群がり

こちらもネトフリ映画。
シングルマザーが食用イナゴを養殖して生計をたてているのだが、なかなかうまくいかない。いろいろ試す中で、イナゴに動物の血液を与えると活動的になり爆発的に増えると気付く。
バッタとイナゴとの違いは、相変異という性質にある。高い密度で群れると姿形や性質が変わり、凶暴化する。この性質はバッタだけに備わっている。海外での蝗害は報道とかで見たことある人も多いのではないだろうか。
そんなところを踏まえるとなかなかリアリティのあるバイオ系ホラー。
設定からはなかなかトンチキな展開を予感させるが、実に静かに、じわじわと積み重ねる見せ方で演出を重ねてくるクレバーな作品。
秀逸なのは映像のトーンで、この作品はフランスの作品なのだが、フレンチホラーの文脈をしっかり踏まえた質感を持っている。
『マーターズ』、『フロンティア』、『屋敷女』など、ムーヴメント初期のフレンチホラーの特色は、映像の独特の質感にある。
ざらざらと硬質で目の粗いノイズを孕み、パリパリに乾いたような特有のタッチ。そこに映える「赤黒い」と表現したくなる血の色。そんな感触が本作にも強く出ていた。
一枚絵として印象的なショットも数多く、ネトフリ制作ホラーの中でも頭ひとつ抜けていた一作。


スーパーノヴァ

コリン・ファースとスタンリー・トゥッチ演じる二十年来のカップルが、イギリス湖水地方を旅していく。片方の認知症が悪化してきており、ふたりはもう終わりが近いということを薄々感じている。
ロングで捉える自然の風景と親密な車内の様子を行き来する映像。静かだけれど豊かな行間が感じられる。展開やイベント自体、多い訳ではない。ただ、どれも深く印象に残る。
失うことが心を引き裂かれるほど辛く悲しいのは、それがどんなに素晴らしくかけがえのないものだったかの証明だ。当たり前のようなことだけど、喪失にあたってそのことは忘れがちになる。そんなことを描いた作品なのかなと思った。
音楽のチョイスが秀逸。ボウイの"ヒーローズ"は近年映画の中でよく耳にする曲ながら、本作での使われ方は印象的だった。ほかに、メインテーマ的に使われるエルガーの"愛の挨拶"。映画であまり聴かないこの曲が本作では特別なムードを作っている。


BLUE/ブルー

吉田恵輔監督作品があまり好きではない。
優れた映画監督だと思う。ただ、個人的な趣味のレベルで、あまり好きではない。
人間の悪い部分、醜い部分を殊更に見せようとする露悪性が、紋切りな表現に感じることが多く、どうも引っ掛かる。
今年公開された二本のうちの一本、『空白』にもそれを強く感じた。
で、二本のうちのもう一本が本作、『BLUE/ブルー』。
ボクシングで青コーナーは、挑戦者サイドだ。
ボクシングジムを舞台に、三人の男の苦闘ともがきを描く。
吉田監督らしく、クールで抑制された表現だけれど、氷の下で熱く燃えている。本作にシニカルな視点はほとんど感じなかった。
吉田監督は30年位アマチュアとしてボクシングをやっているらしい。その中で実際に見てきた人々や状況をモチーフに本作を作っていると。
その、リアルを描くというときに、吉田監督の作品で人間が美しく尊く描かれる、ってすごく面白いと思っている。
奇跡の起きない世界でのひたすらに泥臭い「苦闘」。
何かMOROHAの音楽を聴くような熱を受け取った一作だった。


ミッチェル家とマシンの反乱

ネトフリ映画。
主人公のケイティは映画を学ぶためにアート系の大学に行くことになったのだが、それを理解できない父との間には溝がある。大学では寮に入るため、最後の家族旅行として家族で車でケイティの大学まで行こうということになる。そこに世界中でAIロボットの反乱が起き…。
『スパイダーマン:スパイダーバース』の製作チームによるCGアニメ。
例のコミック調CGアニメの手法を踏襲しつつ、そこに様々な映像表現/文脈をミクスチャー。youtube、インスタ、TikTokのフォーマットがコラージュ的に大量に投入されている。
映像表現の中でとくに秀逸と感じたのが、手描きペイント風に描き込まれる漫符の感情表現。恐らく写真をスタンプでデコレーションするような文化を参照していると思うのだが、これが画面にポップな華やぎとエモーショナルな温かみを生んでいる。
笑いのセンスのキレ、一瞬も退屈させないテンポのよさ、繊細かつ自然に取り入れられたクィア表現、シガーロスと布袋の共存する楽しいサントラ。無数の褒めポイントにくわえ、中心にある家族の物語もシンプルだけれど胸を打つものになっている。
今年のベストアニメ映画。


ベストワン。

サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

アマゾンオリジナル映画。
映画を観て、「めちゃくちゃ良い」みたいなのを超えて「これは自分のための映画だな」と感じることがまれにある。「この映画のことが解った」じゃなくて「この映画は自分のことを解ってくれた」っていう感覚。

ちょっと自分の話を書きたい。
大学時代にジャズをやっていて、フリージャズに興味を持ち、在学中にはノンイディオマティックな即興演奏を指向するようになっていた。即興演奏のセッションを続けながら、自然に興味が向いていたノイズミュージック的な演奏もするようになった。
二十代後半にやっていたノイズバンドは何というか「最大音量指向」みたいなところがあったのだが、その発起人が耳をやってしまった。バンドの活動は自然に収束して、さあどうしようかということになった。自分も大きい音に反応して耳がボソボソいうような感覚があったし、何より気持ちが音楽から少し離れているのを感じていた。
当時の仕事的に音楽を続けるのがかなり難しかったのもあり、そこまでの覚悟があるか?ということに対して、即座にイエスと答えられなくなってきていた。仕事でひどいパワハラを受けていて抑うつ状態になってしまい、メンタル的な余裕がなかったのも大きかった。
異動で職場が変わり、やや気持ちに余裕ができて、反動のように迷走気味にいろいろなことを試した。本気でプラモ制作に取り組んだり、バンジージャンプ、短編小説賞に片っ端から応募する、など。
その中で、山に登るようになった。
きっかけは奥多摩にある関東圏最大の鍾乳洞・日原鍾乳洞を訪れたことで、このときは平日の朝に行ったので貸し切りの鍾乳洞という体験も素晴らしかったのだけど、鍾乳洞を出てからのこと。食堂のおばさんから、近くの山道を少し歩くと都内最大のヒノキがある、と聴く。倉沢のヒノキというこの木を見たとき、ああ、自分が見たいのはこれだったかもな、と思ったのだ。
そうやって山を登るようになってしばらく。
平日に登るのもあって、寒い季節になると貸し切り状態の山登りも増えてくる。南アルプスの主峰甲斐駒ヶ岳の向かい、アサヨ峰に登ったときだ。真っ暗なうちから登る登山道はずっと貸し切りで静かで、山頂にも誰もいない。冷たい空気が耳の奥に刺さってくる。音はない。
そのときに、頭の中でとっ散らかりゴチャついていたものが、すっきりとそれぞれの収納場所に収まっていくのを感じた。
映画のラストシーンを見ながらそのときのことを思い出した。
音楽の話、聴力を失う話という以前に、もっと普遍的に、この映画が描いているのは「人生の幕間の時間」なのではないかと思う。
二十代のころに全てを賭けていた夢が萎んでしまった。疑いを持ってしまった。さあどうしようか?多分それって、多くの人が経験することなんじゃないか。夢から一度覚めて、その先をどう生きようか。そういう、人生の次のフェーズが始まるまでのほんのひと時の時間を描いたのが、この『サウンド・オブ・メタル』だったのかなと。


旧作ベスト4本はパパッといきたい。

ヴァスト・オブ・ナイト

昨年配信のアマゾンオリジナル。
1950年代のアメリカの片田舎、電話交換手とラジオDJが、放送に混線した奇妙な音の正体を探る。
話としては古典的なネタなのだが、作品のキモは没入感の高さ。
リアルタイムで進行する一夜の物語で、深夜に生放送のラジオを聴いているようなライブ感がある。情報量の多い長回しや、怪談語りを聴くようなパートもあり、自分好みの要素の詰め合わせのような作品だった。


佐々木、イン、マイマイン

確か昨年公開。
何かと全裸になりつつ名言連発していた高校時代の地元の友達、佐々木。あいつは今どうしてるのかな。
『アルプススタンドのはしの方』、『のぼる小寺さん』、『くれなずめ』など、琴線に触れる邦画青春映画はたくさんあったのだが、中でもこれは圧倒的だった。
圧巻はクライマックス20分で、4つほどのシークエンスが続くのだが、それのどれもが映画の終劇として十分に説得力のあるものになっている。それを全部やっている、というのがこの映画のおかしさ。しかもそのことがちゃんとひとつに繋がり、大きな高揚感を生んでいる。


スワロウ

これも昨年かな。
異食症という病気があって、氷を異常に食べる、なんてことから始まり、髪や土や異物を食べるようになるというものなのだが、この映画の主人公も家庭内の息苦しさからそれを発症する。ただ、それによって救われてもいく。
赤いビー玉を呑み込むのが始まり。
美しいものや危険なものを呑み込むと、全能感と生の実感に包まれる。
何か、人から見たらムチャクチャで無謀でワケ分からん挑戦によってしか自分を救えないみたいなことって、やっぱりあって。
さんざコケにされ蔑ろにされて、それでも生き延びる、自分を生き延びさせるための行為が、人によってバンジージャンプだったり単独山行だったり、異食だったりするんじゃないか。


ルース・エドガー

オバマの再来と言われる優秀な高校生、ルースのロッカーから、違法な火薬を使った花火が見つかる。ルースは、紛争の絶えないアフリカの小国で生まれ、養子として別の名前を与えられてアメリカで育てられてきた。そんな彼のルーツが周囲の大人の中に疑念を生じさせていく。
あらすじでは「そういう話か」と思いそうになるが、「謂れのない偏見に曝されて苦しむルース君の話」にはなっていないのがミソ。物語は、真実を宙吊りにしたまま謎によって駆動されていく。
疑念、偏見、先入観、観ている側の心がスクリーンに映る映画。
「自分に偏見なんかない」という人ほど向き合わなければいけない「問い」がこの映画にはあるのではないだろうか。


以上、2021年映画ベスト。
他、候補にあった次点作品として、『すばらしき世界』、『ドライブ・マイ・カー』、『ファーザー』、『ミッドナイト・ファミリー』、『聖なる犯罪者』、『リズム・セクション』あたりも非常に良かった。


以下、12月30日追記分。
新作ベスト追加3本。

マトリックス レザレクションズ

ちょっとやっぱり、これを外すことが出来なかった。
素晴らしかった。
中二病という、人生の中のごく短い季節が誰にもあると思うが、そこに直撃することで大きな影響を与える映画がある。誰かにとってはそれがダークナイトであって、また別の誰かにとってはシン・ゴジラやジョーカーであったのではないかと想像するが、自分にとってはマトリックスがそれだった。
まず前提として、ミドルエイジ・ワンスアゲイン(おじ(ば)さん、もう一度がんばる)映画にめちゃくちゃ弱い、というのがある。
ただ、そこでの傑作をマトリックスがやる、というのは全く想像しなかった。
また、そこにクリエイターとしての物語も絡んでくる。
物語を語れなくなった。どうやって情熱を取り戻す?
もう子供じゃない。若くない。どうやって物語と現実のバランスを取っていく?どうやって接点を探っていく?
覚めない夢から覚めた先で、どう生きていくか。
オリジナルのファンに二十年後の今届ける物語として、照準を絞ったつくりが潔い。
よく言われる「今日が残りの人生の最初の一日」という言葉が本作で帯びる特別な響き。


隔たる世界の2人

ネトフリ映画。30分の短編作品。
主人公の黒人青年が愛犬の待つ家に帰る途中、白人警官との些細な行き違いで殺される。目が覚める。また殺される。青年は死の運命を何とか回避しようと試みる。
タイムループという手垢のついたアイディアに、別の形で切実さが吹き込まれている。何しろこれは絵空事ではないのだから。
本作のキャストとして百名の黒人たちの名前が挙げられるエンドロールを、しっかりと見てほしい。
『シカゴ7裁判』、『ラストナイト・イン・ソーホー』と、名前を奪われた人びとの名前をもう一度取り戻す、そういう物語に今年はかなり強力なものがあったけど、本作はとりわけ深く突き刺さった。


サイダーのように言葉が湧き上がる

ショッピングモールを中心に、周囲は山に囲まれた地方都市で、SNSを介した少年と少女の交流。
ものすごくストレートな青春アニメだと思うんだけど、アートスタイルがすごい。
シティポップ的な、鈴木英人っぽい独特のタッチが全編徹底されている。
地方都市のフラットな景色とそのアートが響きあう中で、牛尾憲輔のエレクトロニカの透明なサウンドが強い印象を残す。それはヴェイパーウェイヴともフューチャーファンクとも違う、もっと新しい感覚で、アイロニーなしに今・ここを肯定的に捉え直すようなポジティヴな美しさがあった。
ひとつのいいねを大切に胸に刻む。送信のタップまでの1センチの距離に指が震える。
「あえて」。「逆に」。そんな言い訳めいたレトリックを放っぽって、もう一度素直な言葉に回帰すること。
真っ直ぐに胸を打つ、という表現を本作のために使いたい。
『たまこラブストーリー』のような音楽と物語の絡め方もとても良かったな。


次点として、『ラストナイト・イン・ソーホー』、『ドント・ルック・アップ』も最後まで悩んだ。
どちらも素晴らしかったです。

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