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モンテネグロのノスリ

「マエストロはどうした?」
「珍しく少し遅れるらしい。おれがここで待ってるから、余所で遊んでても平気だぞ」
「それまで野良でやってても良いしな」
「そうか」とそれだけ言って、ダイゴはどこかに消える。図体のでかいアバターが緑の文字列に分解される演出のあと、きらきらと光る同色の光点が周囲に散った。それを払うようにガチャは拳銃とナイフを振り回す。小柄なアバターがくるくると舞う。単なる悪ふざけだ。
「薄情な野郎だな、<運命くん>は」
 ガチャが言う。
「お喋り好きってタイプでもないだろ。それよか、ヒマがあるなら雑魚狩りって感じだろうな、奴は」
 組み始めたばかりの頃、マエストロがダイゴにこう訊いたことがある。「『運命』か?」。これが余程ツボに入ったのか、ガチャは今でもダイゴのことを<運命くん>と呼ぶことがある。確かに悪くないユーモアだ。ダイゴの名前の本当の由来は、ザ・クラッシュのシュダイ・ステイ・オア・シュダイ・ゴー──留まるべきか行くべきか。一も二もなく突っ込んでかき回すのがポリシーの脳筋野郎のネーミングとしては、なかなか皮肉が効いている。
「あいつは馬鹿なだけだ」
 ガチャはそうにべもない。まあ、口ではそう言いながら一年も一緒にやってるんだから──
「モンテネグロのノスリを知ってるか」
 一瞬思考が遮られ、そのままフリーズする。なんだって?
「何かの暗号か?」
「モンテネグロはバルカン半島の小国、ノスリは猛禽類だ」
「猛禽? カラスか?」
 ガチャはやれやれと肩をすくめるエモートを二、三度繰り返す。
「恐れ入ったよ、チャールズ・ダーウィン。だが、惜しい──猛禽ってのは、タカとフクロウのことを言うんだ」
 軋むようにひび割れた合成音声が、楽しげに揺れる。今や当たり前の技術となった、AIによるリアルタイム・ボイスプロセッシング。性別も歳も自由自在、いくらでも好きな声を作ることができるこの技術は、はじめ動画配信者が活用し始めた。それからすぐに一般ユーザーにとっても手頃なものになり、瞬く間に普及した。こいつを調整すればいくらでもなめらかな音を作れるのに、ガチャはそうしない。劣化した金属のような不快な声を使い続けている。
「で、そのフクロウがどうしたって?」
「ノスリはタカだ。日本でだってそこら中にいる」
 ジンジャーテイストのモンスターエナジーのプルタブを引くと、飲み口で微かに炭酸ガスが揺らめいた。そういえばガチャは、これに希釈用の濃縮ポーションコーヒーを溶かすと段違いに<効く>と以前言っていた。ふたつで丁度良いらしい。それを聞いたマエストロは「頭がおかしいんじゃないか」と率直な感想を言っていたが、おれも同感だ。
 耳を刺す不快なヒスノイズ──咳払い。こいつは無愛想に見えてお喋り好きだ。だからおれも腰を据えて聴き手に回ることにする。おれは先を促す。ガチャは話し始める。

 モンテネグロの海は岩礁のリアス式海岸を多く有している。特にフィヨルドのコトル湾の景観は有名だ。世界一美しい湾、と称されることもある。ヘルツェグ・ノビ、リサン、ドブロタ、ティヴァトといった古い城塞都市が複雑な海岸線にそって造られているんだ。
 ここを山から海に向かって滑り落ちる崖に、ノスリが営巣する。季節に合わせて北欧から南下してきて、温暖なコトル湾で子育てをするんだな。大昔に氷河が削り取った崖は幾つものテラス──岩棚を抱えている。さながら天然のタワマンってわけだな。連中はここに営巣する。
 それでだな。ノスリの渡り行動について調べるために、ひとつのコロニーのノスリ全部にデジタルタグをマークした学者がいた。行動ログを分析ソフトにかけると、面白いことが分かった。ノスリの母親と子どもたちが暮らす家に、子どものいないメスのノスリが訪ねてくることがある。そいつは何をするかというと……、家主の母ノスリを蹴り出して、自分が居座るんだ。
 そうだな。スズメがツバメの巣を奪うって話もある。ああ、待て。話のキモはここからだ。強盗ノスリは、より快適な家を求めて乗っ取りをする。もといた子たちはどうなるか? ……育てるんだよ。血が繋がってない子どもたちの世話をし始める。独り立ちできるまでな。
 驚きだな。でも更に奇妙なのはここからだ。そうやって巣立っていった子ノスリの行動を追うと、とんでもないことが分かったんだ。子ノスリの一匹が巣から飛び立って真っ先に向かったのは、血を分けた産みの母ノスリのところだ。それでどうしたか? 鋭い脚の爪でその首を掻っ捌いて、殺しちまったんだ。どういうことなんだ、これは?
 原因は分からない。ただ、コロニー内の他のノスリについて調べると、何匹かの子ノスリが同じ行動をとったそうだ。

「……つまり?」
 おれは尋ねる。興味深い話だが、何を言いたいのか分からない。
「察しが悪いな。私が言いたいのはつまり、マエストロのことだよ。今日の対戦相手は?」
「<アポトーシス>……」
「出来立てホヤホヤの、雛鳥チームだ。連中をまとめる母鳥は誰か、知ってるか」
「いや」
「弦ユイカだ」
 マジか。弦ユイカ。おれたち三人を育てた<母鳥>。ユイカは当時、多くの<雛鳥>を飼っていた。そこにマエストロがやって来た。
「チームを作りたいんだが、メンバーが足りない。貴チームはそれなりに規模のあるものとお見受けする。良ければ、少し人員を分けてもらえないだろうか? なに、タダでとは言わない。わたしが君を負かす。その報酬として人員をもらう。シンプルだろ? そう思わないか?」
 駄目押しに奴は言った。
「募集人員は……困ったな。こちらにはまだ指揮者だけ……、つまり、そう。言うだろ? <当方ヴォーカル。全パート募集>……。あれだよ、あれ」
 ナメ腐った口調、ナメ腐った話。ユイカは静かにブチ切れた。そして負けた。顔を潰され、チームをバラす羽目になった。
 おれたちが抜けたのは、自己申告だ。おれたちは三軍だった。あそこに居ても先がないと、分かっていたんだ。
 ガチャは言う。
「あのときの一軍チームな。最近ランクマッチを荒らしてる<アポトーシス>は連中のことだ」

「ログインしてるのか」
 チームのチャンネルにコントラバスをアルコで弾いたような低音の声が混ざる。遅れて来たのに偉そうだ。
「通知見りゃ分かるだろ。あんた待ちだ、アマデウス。もう全員揃ってる」
「お待ちかねか」
 どこまでもムカつく野郎だ。いつもこの調子だ。じゃあなぜこいつに従うのかって? 当たり前だ。腕がいい。とびきりにな。おれはそれまで、数本のフリーマッチをこなしてようやくワンキル、って調子だった。狙撃銃を持った案山子だ。それがこいつの下について一ヶ月で、ブルー・キラーのバッジがIDタグに留まった。サーバーの上位五パーセントに入る殺し屋ってことだ。こいつがマーカーした位置に照準していると、面白いように敵が入ってくる。入れ食いってやつだ。おれは必至で手を動かす。キルマークが躍り、赤い花が咲く。まるで悪趣味な手品だった。
 アマデウス──呼び方はいろいろだが、プレイヤーIDは<シナファイ>。
「マエストロ? 入ったのか?」
 <運命くん>の声が会話に割り込んでくる。
「ダイゴか。お前、今日はドレッドノートを二本持ってきてくれ。新しい転回系を試す。喩えるなら、九度のオルタードからトニックへアプローチするような戦術だ」
 遅れたことの詫びのひとつも入れず、指示を飛ばす。いつものマエストロだった。ガチャは肩をすくめるエモートを繰り返している。その頭上にため息をつくスタンプが浮かぶ。
 ダイゴが返事をする。
「相変わらず何を言ってるか皆目分かんねえ。俺は三つのコードで出来た曲しか憶えられねえんだよ」
「心配するな。コードが三つあればドミナントモーションは構成できる」
「おうよ。あんたを信じるぜ、ジョン・レノン」
 勘弁しろ。何を言っているのか分からないのはお前だ、ダイゴ。マエストロは人格破綻の戦闘狂だ。このサーバーがひっくり返っても<ウォー・イズ・オーバー>なんて言う訳がない。
「私はどうする、マエストロ。リード・ギターは強く歪ませるのか? それともリヴァーヴを?」
 焦れたガチャが会話に割り込んだ。

 画面にインジケータが忙しく点灯し、UIが順を追って表示される。ヘルス、アーマー、アモ、グレネード、リロードゲージ、ミニマップ、チームチャンネル。重い鉄塊が擦れ合う不快な音が立体音響で響き、エアリグの側面が大きく開く。眼下には瓦礫の塊と化した装甲列車が横たわっている。全長一三〇メートルの電磁加速砲が砲身を空に向けており、朽ちかけたそれは巨大な墓碑のようだった。砂埃が盛んに舞い、廃墟の街を撫でている。市街戦もあれば、装甲列車内の屋内戦闘もある。バリエーションに富んだおもしろいマップだ。
「降下地点まで一分だ。棺桶を用意しろ」
 マエストロの指示が飛ぶ。おれたちはそれぞれの棺桶に収まって、降下地点を入力し、把手を握る。強く引き下ろすと、棺桶の扉が閉まり、大袈裟な音を立ててシリンダーロックがかかる。
 そこでプライベートチャンネルにガチャからの着信が入る。
「そうだ。言い忘れてたが、ノスリの話な」
「うん?」
「あれな、嘘だ」
 唖然としているとチャンネルは一方的に切断され、代わりにマエストロの声がチームのチャンネルに入ってくる。
「楽器を準備しろ。幕が上がるぞ」


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