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追悼・大山のぶ代さん  随筆・ぼくドラえもん


 大山のぶ代さんが亡くなった。もう90歳だったのですね。テレビで見ていた頃のお姿は、まだまだ若々しい雰囲気だったので、長生きなされたのだなあ。のび太役を務めた、小原乃梨子さんの後を追うように、天国に旅立たれてしまった。晩年は認知症を患い、表舞台には出なくなってしまいましたが、私たちの世代にとってはドラえもんの声というと、まず最初にのぶ代さんの声が思い浮かぶものでした。他にない、あまりにも個性的な声でした。のび太を叱るときの、ちょっと辛辣な台詞がのぶ代ボイスになると、不思議なコミカル感が出てきて、ドラえもん世界の大きな魅力になっていましたね。
 ドラえもんの主題歌というと、たぶん、こんなこといいな、できたらいいな、アンアンアンとっても大好き〜の『ドラえもんのうた』がいちばん有名だと思います。私もリアルタイムでドラえもんのアニメ見てたときは、この主題歌を毎週聴いていました。しかし、私が最も好きなドラえもん主題歌はのぶ代さん自らが歌う『ぼくドラえもん』なのでした。たぶん叔父の手製のカセットテープだったと思うのですが、当時を代表するアニメの主題歌が収録されたテープがあって、その中にはDrスランプやガンダムやうる星やつらの主題歌が入っていて、幼いころの私は毎日のようにそのテープを聴いていたのでした。特に好きだったのが、『ぼくドラえもん』、ホンワカパッパ〜、ホンワカパッパ〜、などの印象的なフレーズ、キミョウキテレツマカフシギ キソウテンガイ シシャゴニュウ デマエジンソク ラクガキムヨウ などの熟語の連発する箇所は意味はわからずとも、あまりにも強烈なインパクトを幼い私に残したのでした。藤子F先生、自ら作詞されたようで、さすがだなと思います。
 このカセットテープをくれた叔父は、ちょっと変わり者で、父とは折り合いは悪く、母も良い印象は持っていなかったのだが、私にはファミコン本体を大量のゲームソフトと一緒に譲ってくれたり、不器用ながらも優しくしてくれたという思い出があります。後年、父と対立し、家を追い出され、行方不明になり、ひとりで何処かで暮らしていたようですが、ひっそりと独りで亡くなり、遺品が私の元に届けられました。その中の三つ折りの皮の財布は私が貰い受け、ボロボロになるまで使い続けました。孤独で父にも、母にも、誰にも理解されなかった叔父を、私はなんとなくシンパシーを感じていたのです。そういえば、ちょっとスネ夫の叔父さん感があったなあ、ウチの叔父さん。
 のぶ代さんの頃のドラえもんを観ると、今でも少年の頃、夢と希望に溢れていた時代を思い出すのです。どうか、安らかに。

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