外国語スキルが発達障害の人生を楽にする理由

筆者はこれまでの人生を振り返って見みると、「外国語」というものにかなり助けられてきたと感じている。
修学旅行、大学受験、就職活動、大学以降の人間関係など様々な場面で筆者の孤独を癒し、不足していた人生経験と補ってくれた。

元々筆者は海外というものには高校2年生になるまで興味はなかった。
高校に入るまでは日本史に関する本を読み漁り、家の本棚には城跡やマンガ『日本の歴史』がずらりとならんでいた。
また祖父の影響で地図を読むのも好きで、地図を眺めては興味を持った場所へ自転車で片道2~3時間かけて一人で出かけることもざらにあった。
学校では当然一緒に話したり遊んだりする友達はいないから、いつも一人で黙々と日本史に関する本を読んだり、その知識を誰かに披露したり、自転車で行った先で学んだことや感じたことノートに書き留めているそんな少年だった。
孤立はしているが、誰かと関わりたい、外で動き回りたい、そんな欲望が子供時代の筆者には常にうずめいていたと思う。

高校生になったある日、筆者はいつも休憩時間を過ごす図書室でNHK取材班が20世紀にまとめたシルクロードに関する本を見つけた。
日本とはまるで違う遊牧民の暮らしや文化、大自然を写したカラー写真に引き込まれた。
この本に出会った同年、筆者は高校の修学旅行シンガポールとマレーシアに行くことになった。
これが生まれて初めての海外となるのだが、その時は渡航の3週間前から現地のマレーシア語を学んで簡単な日常会話まで覚え、ジョホールバルでのホームステイでは大いに役立った。
現地人のガイドさんや担任の先生からは「語学力すごいね!」と褒められた。同じクラスの人からも驚きの目で見られた。

発達障害は承認と成功体験に飢えている。
自分の話した言葉で誰かが喜んでくれた、褒めてくれた。
もしかしたらお世辞かもしれないが、筆者が外国語というものに目覚めたのはこの瞬間からだった。

大学受験は私立文系なので国語と英語と日本史の3科目である。
日本史に関しては既に膨大な知識があったため、特に勉強はしていない。
だからこれまで苦手だった英語に全力を注いだ。
結果的に現役でMARCHの商学部に合格できた。

大学に入ってからは英語に加えて中国語も学んだ。
相変わらず同質性の高い日本人の中では友達を作ることはできなくて、サークルでもゼミでもずっと孤立していた。
そんな僕でも留学生の友達は優しく接してくれて、一緒に授業を受けたり、遊びに行ったり、大学生らしい課外活動というのを経験させてくれた。
色々な国の人達と仲良くなり、彼らのおかげで筆者の人生経験は大きく増えたと思う。

大学生活というのは情報戦である。
頼れる友達がいない、いたとしても同じような発達障害持ちで能力が低いと単位取得や就職活動においてかなり苦戦する。
ただ、筆者は中国語学習を通して多くの中国人留学生の友達がいた。
彼らは優秀な上に中国人同士のネットワークは広いから科目ごとの過去問から学外のイベントまであらゆる情報が共有されていた。
それに筆者がさりげなく乗っからせて頂いたのである。

就職活動では外国語学習(英語、中国語)と通して得た経験を評価してもらえたのか大企業に内定をもらうことができた。

いまでも筆者の友人の半数以上が外国人である。
また外国語を学ぶ→外国人の友達が増える→対人コミュニケーションに自信が持てるようになる、の好循環で最近は日本人の友達も作れるようになってきた。

発達障害はどうしても空気の読めない言動や他者との距離感、低い仕事力が原因で組織内での序列は必ず下になる。
特に同質性の高い日本人の世界になると余計に苦しい思いをする。

だから発達障害を持つ高校生や大学生は英語を頑張ってみるのは今後の人生戦略を考えるとかなりコスパが良いのではないかと思う。
友達は作れるし、英語が話せれば周りの日本人からも一目置かれるし、仕事選びの幅も広がる。

今筆者はこれまで外国語を通して得てきた様々な経験やスキルを日本人の中でも応用できるように取り組んでいる。
やはり会社組織で心身健康に働きたい、気軽に友達を作りたい、結婚したいと考えるといつまでも外国語や海外に逃げていてはいけないと思うからだ。

外国語ができると周りの人からすごいと思われやすくなるし、日本人ブランドで友達だって作りやすくなる。
でもいつまでのその刹那的な快楽に依存していては、人間関係や仕事など本質的な問題解決にはならない。

だから外国語(特に英語)が自分の人生経験や成功体験をブーストさせる道具として大いに有効であることを認識しつつも、足元を固める努力は必要である。

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