ノートを使うのを止めてメモを白紙に書くようになった話

最近の学習メモや日々の気付きは、ほぼ裏紙やコピー用紙に思う様書くようにしている。

学生時代の優等生的な考えからか、ノートにきちっとまとめることが正義と捉えていたフシがあった。

(なお、別に優等生ではなかった)

ノートに教科書のように要約した文章を書く意味は何か?

これは「後から見返した時にわかりやすくするため」である。

だが結局ノートを取るだけで満足して、後から見返すということはほぼなかった。

これは恐らく、ノートを取ることで頭に定着させること、考えることを無意識に未来に遠ざけようとしたためと考える。

一種の逃避に近いと気づくことが出来た。


白紙にメモを取るとどうなるか?

ノートと違い、掛け線などもなくフリーに書きなぐれる白紙は発想を自由にしてくれる。

メモを取り、丸で囲み、矢印で引っ張り、図を書きこむ…などがラフに出来る。

別にノートでも出来ることと思われるが、ページの制約や

誰に見せるわけでもないのに無駄に綺麗に仕立てたいという思いが生まれてしまう。

結果、見やすいことは見やすいが狭苦しく、頭に定着した気もしないノートとなりがちだった。

もちろん、後で見返すことを前提にした場合、ノートは有用でぼくも常に無印の「フラットに開くノート」を持って歩いてる。

とても書きやすいノート。


大抵のことはこの無印ノートに書く生活をしていたのだが

最近は「神文章術」という「捨てる前提で書く」という考えに触れて、ぼくの考えも少し変わった。

(神・◯◯のようなパワーワードを聞くと少しウッとしてしまうこともある)

この本では「思考や感情を白紙に書き出し、丸めて捨てる」ということを繰り返す内に

頭がクリアになり、自分の世界観が作れるようになると説明されている。

書いた後の白紙は後で捨てる。見返したり保存したりはしない。

一時期話題になった0秒思考に近い。

こちらは時間制限もなく、テーマごとに分類したりはしない。

個人的には0秒思考よりも忙しくないし、弁別する必要もないのでこちらの方が遥かに自分向きと感じる。


世界観が作れるかはひとまず、この白紙に書くという行為を実践してみると

自由に思考をまとめられる感覚が楽しく、

いつのまにか普段のメモも白紙に書くようになった(落ち着いてテーブルに向かえる時だけになってしまうが)

この方法では後で白紙は捨ててしまい、後で見返すことが出来ない。

それが「今、集中して頭に入れよう」と脳に働きかけてくれる。

個人的にはかなりパワーのある方法と感じた。


とは言え大切なことをメモしたときはGoogleキープなどに後でまとめる。

メモからノート、というようにアナログからアナログにまとめるよりは、最後にデジタルにまとめたほうが良さそうだ。

Twitterなどにも引用しやすい。

今後も学習したことを「保管する」ということを目的にせずに「定着」させるために、白紙でメモを取っていこうと思っている。

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