〈襲撃〉とは一体何が目的なのか
昨年の安倍総理の銃撃事件に合わせて昨日もドラルドトランプ氏が襲撃された。政治家だけでなく、襲撃という名でジョンレノンなどミュージシャンも亡くなる過去がある。〈襲撃〉とは何が目的なのかを考察してみたい。
悪意の提示を示唆する言葉
政治や平和をうたうとき、必ず反対側に〈敵〉が存在する。
それは敵がいた方が都合がいいからにすぎない。宗教が終末を唱えるように
政治や平和の支持者は戦争というものを強く意識させる。
そうすることで自分は〈善〉であるということを確立させるという目的がある。大きな恐怖の前に人が平伏すように、大きな善の前に人間は平伏す。
宗教と政治で分岐する点は〈成長意欲〉がどこにあるかによる。
人間の中でより高見を目指し、大きくなりたい人は政治を目指す。
生物としてより高見を目指し、大きくなりたい人は宗教を目指す。
その成長意欲は〈破壊衝動〉とよく似ている。
何かを壊す力と前に進む力は等しく同じものである。
私はその成長意欲や、破壊衝動は必ず人類の中で起こる必然だと思う。
宇宙の仕組みとして組み込まれてしまっているように感じる。
空虚さの中の暴力
〈敵意〉があるひとは〈成長意欲〉がとても強い。
より上へ、より高見へ。その反対にあるものは一体なんだろう。
それは〈空虚〉という感情だ。
ルールを無効化してしまう原因
万引きをする人を捕まえたことがある。
捕まえた人に直接「なんで盗んだの?」と聞いてみたら
「お金が払うのが面倒だった」と言っていた。
始めこういわれたときに、自分の選んだ商品に価値がないのか?
と怒りや憤りのようなものを感じたのだが、その子の目は曇っていたことを思い出した。きっとこの世界に興味がないのだろう。
襲撃された大統領も、襲撃した少年も実はこの世界に興味がないのだ。
この世界がつまらなくて、変化させたくてもがいている。
本当は一番気持ちを理解しているのは襲撃したあの子なのかもしれない。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
私は安部さんの襲撃された映像をみたときに、無防備に道路に立つその姿はこの世界をあきらめてしまったのではないかと悲しい気持ちになった。
どんなに尽くしても悪がなくならないこの世界が嫌になってしまったのではないだろうか。真面目すぎたのではないか。楽しい時間はどれくらいあったのだろうか。もっとたくさん自分を許す時間があったらと考えてしまう。
襲撃は空虚の成れの果てである
この世界は光と影でできている。光が強いところには影も強くでる。
もしも〈世界を変化させたい〉という共通の目的を見出せたなら、
何かが変わるだろうか。この世界はいつだって二律背反だ。
最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!