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(I threw my)love in the trash 🗑
言葉を扱っているとこの問題にぶつかる。
現代はあまりにも言葉に溢れていて、その言葉は人を騙すためにも使われる。言葉の魔法は人を救うだけでなく、地獄に落とせるという側面もあるのはもちろん知っている。言葉に対してアレルギーがある人もいるのだろう。
私は偶然、言葉で救われる経験が多かった。偉人たちは辛い境遇や悲しい出来事を言葉にして時を超えて伝えてくれた。小学生の頃に読んだ『アンネの日記』の中で、アンネはアドルフ・ヒトラーという独裁者に『国を支配したって心までは支配できない』と淡々と伝えていた。私は言葉の力を強く感じた。
でも、それはほんの一部の感性がある人間だけであることを知った。大半は独裁者の派手な見た目と饒舌な語り口に心が動く。黒魔術の前に白魔法をかけてもらっただけで、順番が違えば私もそうなっていたのかもしれない。いや、ならなかったか。それはわからない。
私はハリーポッターを見た時に、まさにこの戦争がずっと行われているのだと知る。人の為に魔法を使いたい側と、人を支配する為に使いたい側の戦争だ。ハリーポッターは言葉を扱う人間全てに刺さる。
私は悲しい時に言葉を綴る。辛い時も言葉にする。嬉しい時も言葉にするし、素敵だなという時や謙虚で見られたいときなんかも言葉を使う。言葉は私の味方だった。ずっとずっと相棒だった。その相棒が傷つけられるとすごく怒りが沸いた。
でも、その相棒が傷つけられた辛さは同じ『言葉』を扱わない人には伝わらなかった。力のなさを知る。カールじいさんの空飛ぶ家は前半部分にほとんど台詞がない。なのに涙が止まらなくなる。言葉なんてない方がいいのかもしれないと思ってしまう。悔しさを感じる。
でも、言葉がないものを見て泣けるのは私の中にちゃんと『言葉』があるからかもしれない。と考え直す。自分の中に言葉がない人が見たってただおじいさんとおばあさんの日常が描かれているだけだ。
私は言葉をゴミ箱に捨てようと思う。伝わらない人の為に綴った言葉全てを捨てよう。投げ捨てよう。私の相棒を自ら手放そう。その辛さがきっと私を成長させてくれると信じて。
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