アウシュビッツ・ロワイヤル
私はロックスターが大好きだ。
ロックスターはギターを弾いたり、マイクで叫んだりするだけではない。
ロックとは自分の本音を貫くこと。
そしてそれを体現できるのがロックスターだ。
私はいつでも概念の話をしている。
社会不適合者と呼ばれる子供たちを集めている東大の教授がいる。
この特集の中で教授は「サイバスロン」という障害を持つ人と最新技術の組み合わせを競う競技、そして「アウシュビッツ」という障害を持つ人を徹底的に虐殺した施設を体験してもらい、共通点を探せという課題をだす。
天才が天才と言われる所以はあらゆるものに共通点を見出すことにある。
共通点は適応される事象が多いほど法則となり哲学となり宗教となる。
彼らは10代にでその領域に足を踏み入れている。
それは特別なことなのだろうか。今回のお題の裏テーマはこれだ。
天才のほとんどは抽象的な概念の話が多く、具体的のどうするのかというテーマについて物凄く弱い。世界を救う方法は思いついても、今日何を食べるかには興味がない。それは肉体を忘れて、空想の世界に浸る時間を最優先しているからなのだ。
画家や音楽家は現実世界の端にいて、自分の世界を表現し続けなければならないという業をもって生きている。空想の世界と現実世界を埋めていく作業をしているのだ。
空想の世界と現実世界を埋めていく作業に人類への貢献という気持ちが合わされば「サイバスロン」に、独裁的な思想が合わされば「アウシュビッツ」になる。つまり、天才はいつでも悪魔になる要素を持ち合わせているということになる。異能の危険性を真っ向から教育しているプロジェクトだろう。
彼らはどちらも体験する中で、自分の才能はいつでも人を殺す方向に向かえるのだ、人間には悪魔になれる才能がある。という答えにまでたどり着く。
さて、ここでその分岐点はどこにあるのかという疑問が持ち上がってくる。
私は「本音が言える環境か、もしくは意思があるかどうか」がとても大きいと思っている。
本音を言えば戦争になる?いいや違う。本音を言えなくなればなるほど戦争の足跡は近づいていく。虚像や偶像に私たちはいつだって命を捧げてしまうという癖を持っている。誰かが作った空想の世界に浸ったとき、人間がいらないという設定をされていれば簡単に殺してしまうことができるのだ。
いつだって私たちは小さなアウシュビッツの中で生活している。
たくさんの空想の世界がその辺に広がっていて、いつだって悪魔の才能をひらけと甘く囁いてくる。