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コミュニティが別の人には気を遣おう(10月エッセイ③)

 べいびーわるきゅーれナイスデイズを見に行った。面白過ぎて1日に2回見た。その日は元々3本の映画を見る予定だったけれど、無理矢理スケジュールにねじ込んだ。
 シリーズを通して主人公2人の社会の馴染めなさは相当なものだった。冬村という作品史上最大の敵である凄腕の殺し屋も主人公2人に匹敵するコミュニケーションの取れなさだった。
 冬村がお願いしてサポートについてもらった殺し屋を、戦闘中に冬村自らが容赦なく殺してしまう。サポートに送り出してくれた殺し屋の組合に対して、起きた出来事を正直に話しすぎてしまった結果、完全に怒らせた。おそらく社会人経験やアルバイト経験があったら、あんな言い方にもならず、もう少し穏便に済んだだろうにと思う。
 主人公たちには殺し屋の先輩や仕事を振る上司が居て、殺しの後片付けをする仕事仲間のような人たちがいる。社会性が多少欠けていても、周りには教えてくれたり、時には怒ったりしてくれる人たちのおかげでなんとかなっているように見える。

 冬村には奇妙な哀愁が漂っていて、思わず同情してしまいそうになるけれど、きっと年を取ったら、もっと性格をこじらせて老害扱いを受けていてもおかしくないだろう。
 飲食店でアルバイトをしていた時に、厳めしい顔をした40代後半から50代くらいの男性との嫌な思い出は数知れない。
寿司盛りの一部を別のネタに変えてくれと言われて、それ自体はよくあることだけど、原価の安いネタをうにや大トロに変えようとされた。難しいですとお答えすると、なぜできないのかと問い詰め、時には「使えねぇ…」と罵る。今回だけ特別にと要望に応えても、ありがとうすら言わない。

会社の部下を何人か引き連れてきたお客さんから急に呼び出され、「酒飲んでるのバレたくないから、ウーロンハイをウーロン茶と言ってもってこい。わかったな、じゃあ行け。」と言われた。
年を取って自分が偉くなると、頼まれる側の気持ちを全て忘れてしまうのだろうか。自分が変なことを言ってることにもう気づけなくなるのだろうか。
会社の立場がそのまま他の場所でも通用すると思っているのかもしれないけれど、そんな態度が通ると思うなよと心の中で思った。大学生だった自分はそういったおじさんたちにへこへこしながら、対応していた。別にそのくらいならやればいいじゃんということもある。ただ、あの横柄な態度はいつからなんだろうと疑問に思う。

人からよく多趣味だと言われる。自分でも興味があちらこちらにある方だと思う。特にアイドルの現場は色んなところに行く。友達が10数人いるところもあれば、後方でポツンとみているところもある。
会社や家族とはまた別にコミュニティがあると、自分の価値観がアップデートされる感覚がある。
自分がすごいと思っていること、畏怖していること、憧れていること、嫉妬すること、こだわっていること、その全てに意味がない場所があるということを知ることができる。
定期的に自分のことを誰も知らない場所に行き、自分を取り巻く固定観念を叩き割って、自分は何者でもないという感覚を思い出す。そのためにも、色んなことに興味を持って、色んなところに行ってみる。
自分の社会的立ち位置を飲食店でも誇示してしまう勘違いおじさんにならないために、自意識を鍛える。

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