【ひらつかLaLaぽた 「夏の風物詩・湘南ひらつか七夕まつり&東海道探訪記」】SURUGA Cycle Journal Vol.112
平塚市さんとのコラボ企画「ひらつかLaLaぽた」。電動アシスト自転車、デイトナポタリングバイクで湘南ひらつかの気持ちいいところを巡ります。
2022年4月1日、平塚市は市制施行90周年を迎えました。これを記念して、3年ぶりに「湘南ひらつか七夕まつり」が2022年7月8日~7月10日の3日間で開催されました。今回のひらつかLaLaぽたは、この七夕まつりと、東海道平塚宿を巡る夏のポタリングをお送りします。
平塚市役所からスタートです!ナビゲーターは七夕アロハを着ている平塚市職員の露木さん(左)、スルガ銀行のヒラタ(右)のコンビです。
そして相棒はデイトナポタリングバイクDE01です。ポップなカラーとフォルムがかわいいですよね。折りたたみができて、電動アシストもパワフル!写真映えもバッチリで、ぶらっと街乗りするのにもぴったりの自転車です。レッドとイエローのビタミンカラーで準備万端!早速出かけましょう。
まずは、3年振りに開催された「湘南ひらつか七夕まつり」をたっぷりとご紹介していきます。
「湘南スターモール」が色とりどりの七夕飾りに彩られています。会場は七夕まつりの開催を心待ちにされていた市民の皆さんで大にぎわい。わくわくした雰囲気であふれていました。
みてみて!今回はスルガ銀行平塚支店前に「ひらつかLaLaぽた」の飾りも登場したんですよ。ひらつかLaLaぽたロゴをあしらった七夕飾りに一同テンションが上がります!
七夕飾りは団体で作成しているものから個人で手作りされたものまで、さまざまな個性を発揮。からくり仕掛けで、人形がくるくる動くすごく凝ったものも。毎回七夕飾りのコンクールも開催されています。
初日の7月8日には「七夕おどりパレード」が開催され、豪華絢爛な飾りの下を踊り歩くパレードや「湘南ひらつか織り姫」が登場するなど、いっそう盛り上がりました。
さて、今度は「紅谷パールロード」を散策しましょう。
こちらの七夕飾りは歩行者天国を横断するほどの大型飾りばかり。「湘南スターモール」とまた違った雰囲気を楽しむことができます。こちらも飾りのテーマはさまざま。ユニークな作品が目白押しです。
よく見ると…恐竜!
こちらは源氏物語がモチーフ。
果ては歌舞伎まで?!
湘南ひらつか七夕まつりは、日本一といわれる七夕飾りの豪華さが1番の自慢です。中心街の七夕飾りはなんと約500本!日本を代表する夏の風物詩が平塚にはあります。
それでは、ここからは平塚の東海道史跡をご紹介していきます。まずは「馬入の渡し跡」です。
江戸時代、幕府によって大きな河川に橋をかけることが禁じられたため、相模川(馬入川)では「渡し船」によって人や馬などを対岸に渡していました。
この石碑は相模川沿いにあり、川と並行して自転車で走っていくのが気持ちいいですよ。
続いては「馬入の一里塚」に到着です。
これは江戸幕府の時代に江戸日本橋からの距離がわかるように一里(約4km)ごとに整備されたもので、馬入の一里塚は江戸日本橋から数えて15番目の一里塚です。
京都まで百十一里、大阪まで百二十二里…まだまだ遠いですね。江戸時代の旅人たちは一里塚によって旅の進み具合を見たのだそうです。当時は車も電車もなく、馬に乗るか徒歩だったんだと考えたらすごいことですね。
さて、続いては「江戸城の井戸枠」を見に行きましょう。
1957年(昭和32年)平塚市の市制施行25周年記念に、東京都より寄贈されたものなのだそうです。
お隣には「平塚の里 歌碑」があります。
「江戸城の井戸枠」は現在2022年3月に新しく建設された「ひらしん平塚文化芸術ホール」の一角にあります。敷地内には小さな芝生広場やベンチなどがあって、市民の憩いの場にもなっています。
さて、続いては「平塚宿の江戸見附(えどみつけ)」です。
各宿場の両端には城門に似た「見附」が設けられており、一般的に江戸側の出入口にあるものを「江戸見附」と言います。ちなみにこの辺りは見附町という地名なんです。
現在の江戸見附は、明治初期に駐日イタリア公使のバルボラーニ伯爵が持ち帰った写真をもとに復元されたものです。
そしてまた歩道に突然現れる石碑…!平塚市街には、平塚宿に関連する史跡がこんなふうにふとした場所に点在しているのです。こちらは「平塚宿脇本陣」です。
脇本陣は本陣の補助的な役目を担っていました。大名や公家の家来など、身分の高い人が利用しましたが、特権階級の宿泊のない時は農民や町民など庶民も泊まれたのが特徴だったそうです。
「平塚宿脇本陣」から徒歩1分のところにあるのが「平塚宿高札場」です。宿場の跡なだけあって、近い距離に史跡が続いているのが平塚宿の特徴でもあります。
高札とは、切支丹禁制や徒党の禁止など、幕府や領主の法令や通達を書き記した木の札のこと。この高札が掲示されていたのが「高札場」であり、各宿場や村々に設けられていました。
現在は高札場跡として石碑が残っています。
こちらは「東組問屋場(ひがしぐみといやば)」です。問屋場は宿場において重要な役割を担っていました。
ここは旅人が休憩するための茶屋、宿泊するための旅籠(はたご)、人夫や馬を交代するといった役割、幕府の公用旅行者の荷物の運搬や馬の手配を取り扱い、駅・役所・警察の役目も担っていた場所で、旅の道中にはなくてはならない場所でした。
ちなみに、平塚宿には問屋場が2か所ありました。そちらにも後で立ち寄りますので、お楽しみに。
さて、続いては「平塚宿本陣旧跡」です。「本陣」とは、幕府公用人や諸大名が宿泊する宿のこと。平塚宿の本陣はこのあたりにあったと伝えられています。
記録によれば、平塚宿本陣は建坪163坪、座敷数が20あり、門・玄関・上段の間があったとのこと。相当大規模ですよね。昔は徒歩で移動していたと考えると、宿の重要さがわかります。
さて、こちらは「西組問屋場跡(にしぐみといやばあと)」です。
先ほど立ち寄った「東組問屋場」と、もうひとつの問屋場です。西組は1601年に西仲町に置かれ、東組は交通量の増加によって1651年に増設されたものです。
ちなみにこの江戸風の建物、宿場を模して建てられた消防団のものなんです。
続いては「平塚宿京方見附(きょうがたみつけ)」です。
各宿場の端には「見附」が設けられており、一般的に京都側、つまり西側にあるものは「京方見附」「上方見附」などと呼ばれています。ちなみに、先に訪れた「江戸見付」は江戸側に近い見附です。
現在ここには大きな松の木と石碑があります。
さて、平塚市と大磯町に跨る「高麗山(こまやま)」を眺めに来ました。花水川にかかる「花水橋」から、ちょうど高麗山の景色が見えるのです。
高麗山には湘南平を含む高麗山公園があります。こちらは平塚八景に指定されている絶景スポット。以前のLaLaぽたでも訪れたことがありました。
高麗山をバックにした東海道と花水川の景色が歌川広重の浮世絵に残されています。時代は変われど、川沿いに高麗山を眺めるこの風景は、江戸時代から変わらないものであることが伺えますね。
さて、続いて「春日神社」にやってきました。春日神社は旧東海道平塚宿の鎮守である神社です。
実はこちら、北条政子が安産祈願に訪れた神社だと言われています。これにちなんで、安産祈願、開運厄徐などのご利益があります。
そして、今回最後のスポットは「八王子神社」です。
この辺りには「十八軒町二十四軒町家並」という、賦役(農民のような特定階級の人々に課せられた労働)を担う人々を移住させた場所がありました。
境内には御神木であるイチョウの木が。江戸時代にあった松の木が震災や空襲で被災したため、終戦を機にこのイチョウの木が御神木とされました。
ラストは平塚市役所に戻って、食堂でランチにしましょう。
市役所内の食堂は一般の方もご利用いただけます。イチオシは平塚産のトマトと小松菜入りの「ひらベジカレー」。
週替わりの麺メニューは夏限定の「チキンサラダ麺」が登場していました。
テラス席で気持ちのいいランチになりました。
今回のひらつかLaLaぽたは、湘南ひらつか七夕まつりと東海道平塚宿のゆかりの地を辿りました。3年振りに開催された七夕まつり。きらびやかな七夕飾りで、街の人々の賑わいが戻ってきたような感じがしました。また、平塚市には東海道にまつわる史跡が街中の至る所に点在しています。江戸時代の平塚に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
それでは今回のひらつかLaLaぽたはここまで。次回もお楽しみに~!