【解説エッセイ】冬と浮遊

こんにちは。
私に限った事ではないと思うのですが、自分が書いた創作系って完成後しばらく経つと本当に自分が作ったのか?ってなりませんか。

私はプロットとかあまり考えず、おぼろげに浮かんだストーリーを書きながら形にしていくのですが、出来上がるのはいつも自分じゃない誰かが作った作品のような気になります。

おかげで、読者目線で読み直す事もできるし、自身の作品を自身で考察するというわけわかんない楽しみ方ができるんですけどね。

途中「これ面白い?」と疑問を抱いても必ず最後まで書き終えるようにしています。未完は駄作に劣る、と言う言葉に脅迫されているので、ラストが駆け足になっても完成はさせなくちゃ。費やした時間が無駄になるのが嫌ってのもあるんでしょうね。

さて『冬と浮遊』の解説のような考察を始めます。
この作品は以前書いた『日々は風船』の彼女視点です。
前作よりこっちの方が私は好き。
テーマは林檎と罪悪感。少しだけ聖書をオマージュ。
アダムとイヴ(エバとも言うんでしたっけ)のイヴが林檎を手にしてから知恵をつけていく話です。
知らなかった事を知る。それは時にとても残酷なのかもしれません。
お爺が余計な事を言わなければ浮遊ちゃんは『あの人』の帰りを希望として過ごしていたでしょうし、罪悪感を抱く事もなかった。
悪い想像がよぎっても見ないふりする事ができた。
それでも知ってしまったからには絶望に落ちるか、そこから前を向くかしかないわけで。

過程の断片がわかっただけで、あの人がどんな気持ちで逝ってしまったか、もちろん浮遊ちゃんは知りません。どんな思いだったか、彼女は想像するしかないんですよね。自分のせいと考えれば罪悪感が生まれるのは必然。
物語半ば、お爺にまくし立てる発言は自分自身へ向けた言葉とも取れます。

それでも時間はかかれど彼女は現実を受け止め立ち直れると私は思います。思い出はいつか風化するし、風化した後に残る物こそ大切な思い出になるのではないかと。

私は夜空の星が時折、風船や肺など膨らむ物に見えます。
瞬きが大きく見えたり、小さく見えたりすると呼吸を意識します。
宇宙の呼吸が私たちのすべてを吸い込んで、新しく吐き出す。そんなセンチメンタルな事を想像してみたり。
そういえば林檎の断面も肺に見えます。

そんな感じの気分で創った作品です。
読んでくださった方、ありがとうございます。
感想も活力になっています。感想をいただけた方の作品は特に真剣に読み込んでます。勝手に愛着を感じちゃってます。

全然関係ない話ですが、コメントする時ってめちゃくちゃ緊張します。おかしな事言ってたらどうしよう、良かれと思ったのに不快な気持ちにさせちゃったら、あなたの作品に出会えた喜びの想いを伝えたいだけなのに。
感想に対してお返事する時もおんなじ。
なんだか独りよがりのラブレターを送ってしまう心境です。
「好きです」だけで伝わるのに、あれこれ文章をこねくり回しておかしな日本語が出来上がる。
でも送らないよりはマシですね。
でもでも考えすぎて送れない時もありますね。
自分勝手な正解、不正解のない解釈ですが。

スロウでした。

いいなと思ったら応援しよう!