006 代謝⑥ 無機肥料の発見
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の続きです。
農業は、農地から植物のすくなくとも可食部分を持ち出していくので、やがては農地の物質欠乏を招きます。人間は、農地に生物やその老廃物を施すことで物質欠乏を補い、食糧生産を継続して行うことができるようになりました。
植物に動植物やその老廃物を施すと生育がよくなるということは、観察に基づいた経験則であっただろうと思われますが、人間を含めた動物が動植物を食べることによって成長することからくる類推もあっただろうと思われます。
じじつ、動植物問わず生物を構成する物質は大体似ているので、他の生物を農作物の体をつくる材料にするという考え方はけっして間違ってはいません。ただその場合、食べる植物と同じくらいの量の他の生き物を農地に施さなければならないことになります。これは結構大変なことです。
文明や経済が発展して、ただ人口が増えるだけでなく、都市等の住民が増えてくると、農地には、農村が自給する以上の生産性が求められるようになります。生物やその老廃物を施すという方法では、どうしても量的な限界が出てきます。
ところで、17世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでは化学が急速に発展します。化学は錬金術から派生した学問で、世の中にある様々な物がどんな要素で成り立っているか、どういう性質をもっているかということを探求します。化学的な興味を持った人のなかに、植物を自然から切り離した場所に置いて観察するものが現れました。彼らは植物を箱に閉じ込めたり、いろいろの物質を与えたり与えなかったり、いろいろに環境を変えたり、精密に重量を測ったりして、植物が何を体に取り入れてどのように体を大きくするのかということを調べて、その仕組みを次第に明らかにしていきました。
化学者たちの成果の中で特に重要だったのは、光合成の発見(wikipedia)と、ドイツのリービッヒ(1803-73)の窒素・リン酸・カリウムの三要素説(1840年ごろ)です。
タンパク質、糖質、脂質といった植物の体の大部分を占める有機物の炭素骨格が、土中の他の生物の亡骸や老廃物からではなく、空気中の二酸化炭素を原料として取り入れて自分の体の中で作られていた、というのは大きな発見でした。根から吸収するのは、水のほかは、窒素・リン・カリ等を含む無機イオンで十分だったのです。
三要素説の発見とちょうど同じ頃の1840年前後に、ヨーロッパやアメリカで新しい肥料が使われ始めて大人気となりました。グアノと呼ばれる、南米ペルーの島に海鳥の糞が長い時間堆積して固化、半化石化したもので、窒素分やリン酸分を多く含んでいました。つづいてほぼ同じ時期に、南米チリで硝酸ナトリウム、ドイツでカリウム岩塩、アメリカでリンの鉱床が見つかりました。
これらの物質は無機的な鉱物でしたが、農作物の生育をよくする効果が認められ、肥料として大々的に使われるようになりました。これら鉱物を肥料として使うことには、大量の動植物を消費しなくても済む、衛生的で扱いやすい、施す量や時期をコントロールしやすい、という大きなメリットがあります。これらは鉱床の形で膨大な量がまとまって産したことから大量に採掘され、農地にたくさん使用されることで農業の生産性は飛躍的に増大しました。
しかし、ここで新たな問題が生じてきます。これらの鉱石は、成因は太古の海洋生物の遺骸だとか陸地に閉じ込められた海が干上がって溶質が結晶化したものだとかとされ、数万年から数億年といった地質的な年数をかけて形成されたものでした。膨大に産するとはいっても、人間の利用の速度はそれに比べるとすさまじく、1つの鉱床に対して数十年~数百年のオーダーで使用することになります。
19世紀末にはこれら鉱石肥料の枯渇が心配されるようになり、窒素肥料に関しては、1909年に開発され1913年に生産開始されたハーバー・ボッシュ法によって、材料としては量的にほぼ無尽蔵といえる空中窒素を利用する方法が確立しましたが、リンとカリウムについては基本的に鉱石に頼るほかはなく、現在に至っています。
リンとカリウムは資源の地理的偏在性が大きく、カリウムはカナダとロシアで世界の8割を、リン鉱石は中国とアメリカとモロッコで世界の7割を産出しています。
以上、人間の生物個体としての代謝、そしてさらにそれを支える農産物の代謝を見てきました。次の記事ではマクロな観点での代謝を見ていくことにします。
に続きます。
参考文献
肥料になった鉱物の物語 高橋英一著 研成社刊