脱走飯
「朝だ、さっさと起きろ‼」
怒声が一帯に響き、俺は睡眠から目覚めた。同時にカンカンカン、と金属を棒で叩く甲高い音が響き、最悪な一日の始まりを告げる。
いつもの様に耳を塞ぎベッドから起き上がる。毎度の事ながら、最悪の寝覚めだ。
そっと立ち上がり、臭い部屋を後にして食堂へ向かい、いつもの麦飯に梅干し、塩辛い味噌汁としけた飯を貪る。
飯を食い終わると重い腰を上げ、死んだ目の同僚たちと外へ向かう。
いっそ死んだ方がマシだ。そんな風に思うこともあるが、そんな勇気は俺にはない。ただ、生きる。それだけの為に、今日という地獄を乗り切り、明日という地獄を迎えるのだ。
ぼろい宿舎から出ると、土が露出した駐車場と辺りに広がる森が見え、俺は駐車場に止まっている泥だらけのハイエースに乗り込み、後部座席に座った。
窓から、殺風景でまだ薄暗い外ボケーっと眺めていると、わらわらと人が乗り込んでくる。
定員以上のすし詰め状態まで人が乗ったところで車のエンジンがかかり、出発した。
ここは、俗にいう『たこ部屋』だ。
俺みたいな借金まみれのクズや、犯罪者など人に言えない過去を持つ者が集まる。
そんな場所だからか、会話の一つもない。
静かな車内には、エンジンの音だけが我が物顔で響き渡る。
重い空気で乗り心地最悪の車内で耐えること数分、ようやく現場に着いた。
下車し、溜息を吐きながらトランクに積んであるシャベルを取り、俺の持ち場へ向かう。
持ち場に着き、作業を始める頃にようやく寝坊助な太陽が顔を出し辺りが明るく照らす。
地面にシャベルを突き立て土を掘る。単純な作業だが、それ故に辛い。
どれくらい時間が経ったのだろうか……。太陽の日差しが強くなり、体中から汗が吹き出す。
頭がボーッとする。
そんな時だった。
「何さぼってやがる、立て愚図が」
現場監督の岸田が吐き捨てる様な怒鳴り声が聞こえ、俺は視線を向けた。すると、熱中症だろうか何かで倒れた作業員が一人、そいつに怒鳴る岸田がいる。
「立て」
岸田がそいつを起こし無理矢理立たせるが、再度倒れ込む。
「彼奴はもうだめだな」
岸田の方を眺めていると、隣の中年オヤジが呟いた。
「兄ちゃん、さっさと手を動かせ。お前も絞られるぞ」
冷たい声でオヤジはそう言い、作業を続けた。
そして俺も作業に戻る。
こう云う話は聞いたことはあるが、実際に目にするのは始めてで、紛れもない現実が、目に映った死が、俺の一途の希望を打ち砕いた。何時になるかは分からないが、借金を返せば出られる。そんな希望を頼りに今日まで生きて来きたが、現実はどうだ。ここから出られる保証はどこにもない。
俺もいつかは彼奴の様に、惨めに死ぬのだろうか。
そんな事は御免だ。
「昼休憩だ!」
そんな思考中断するように、休憩の時間がやって来る。
だが、同時にチャンスでもあると俺は考えた。
俺は馬鹿だ。
高卒で就活に失敗し、親の脛をしゃぶり尽くし、挙句には借金でこんな所にやって来た。
正真正銘の馬鹿だ。
そんな俺に、作戦だの準備だの考える頭はない。
昼休憩で現場の作業員が一か所に集まる為、今が絶好のチャンスだ。
思い立ったが吉日、俺は人込みに紛れ監視を逃れた。そして、全力で走る。力の限り走る。
その場の思い付きでなんの策もない、見つかったら終わり、言わば賭けだ。
今まで俺は賭けで何度も負けて来たが、今日くらい勝たせてくれよ、神様。
何とか森の中に隠れる事が出来た。
草むらから休憩所の方を覗うが、幸いまだバレていない様だ。
さて、ここからどうした物か。飛び出したのは良いものの、俺は何も考えていない。
ここがどこかを知るすべもなく、道も分からない。
やけくそだ、どうとでもなれ。俺は森を一方向に直進することにした。
腹が減り、草木でまともに進めないが、もう後には引けないのだ。
その辺の雑草で腹を満たし、ただ進んだ。
暫く進んだ頃、俺は生まれて初めて神に感謝した。道に出たのだ。
「やったぞ!」
思わず声を上げるが、すぐに両手で口を抑えた。
もし脱走がバレたなら、今頃捜索されているはず、声を聴かれたら面倒だ。
すぐさまその場を離れ、山道を勘で下る。
暫く歩くと、町らしきものが遠目に見えた。どうやら進んだ道は正解だったようだ。
今日は運がいい、こんな事になる前にこの運が欲しかったよ、まったく。
それから暫く経った事、町は近くに見えて来た。どのくらい歩いたのだろうか、スマホや時計などはすべてたこ部屋に入った際に没収されてしまったので、時間が分からない。
ただ辺りは薄暗くなり、喉が渇き雑草で誤魔化していた空腹も限界という事は分かる。
幸いなことに、何故か財布だけは残っており、中には金も多少あった。
金はある、飯だ、飯を食おう。
思えば、あそこに入ってからは毎日同じ飯しか食ってなかったし、飯どころではなかった。
だが、今の俺は自由だ。飯の一つ食うのも制限されていた昨日までとは違う。
何を食おうか、そんな事を考えるだけで、よだれが垂れ、疲労で疲れた足に力が籠る。
町に着いた。
兎に角俺は周りを見回し、全力で飲食店を探す。
もう限界だった俺は最初に目に入った店に入った。好き屋だ。
入店して席に着きメニューを眺め、麦茶を運んできた店員に注文をする。
「牛丼大盛と豚汁、後ビールをお願いします」
「かしこまりました、少々お待ちください」
注文を受け取り、店員が去っていく。俺は出された麦茶を一気に飲み干し、乾ききった喉を潤す。
そして、待ち望んだ瞬間が訪れた。
「お待たせしました~」
そう言い店員が食事を運んできた。
「では、ごゆっくりどうぞ~」
そう言い料理を運んできたのだ。
目の前のご馳走に、俺は迷わずがっついた。思いっきり飯を書き込み、麦茶で流し込む。
「美味い……」
気が付くと、無意識にそう呟いていた。
久しぶりの肉触感、噛むごとに口いっぱいにうま味が広がり、玉ねぎのしんなりとした感触と甘みが口いっぱいに広がる。
そこに具沢山の豚汁を流し込む。
ごぼうやニンジンなど、野菜と豚の出汁が溶け出した汁がとにかくうまい。
牛丼と豚汁に夢中で忘れていたビールをコップに注ぎ、一気に飲み干す。
疲れ切った体にビールの刺激と特有の苦みが駆け巡り、体に染み渡る。
直ぐに一杯目を飲み干し、ゴクゴクと音立て豪快に二杯目を飲み干す。
「ぷはぁ……」
すかさず次を注ごうとするが、瓶からは数滴の液体が滴るのみだ。
店員を呼びビールを再度注文し、豚汁をすする。
ただ塩辛いだけだった味噌汁と違い、野菜や豚のうま味がしみ出した汁を味わう。
ニンジンを口に入れると、ほろほろとすぐさま崩れてなくなった。
そして二本目のビールが運ばれてきた。すぐさまコップに注ぎ。牛丼を頬張りビールで流し込む。
美味すぎる。
そして、味に変化が葉しくなった俺は、テーブルに設置してある調味料の中から紅ショウガを取り、牛丼へ乗せた。
紅ショウガの酸味と辛さが牛丼をさらに引き立てる。
そして牛丼と豚汁を食い終わった俺は、残りのビールを流し込み会計に向かう。
店を後にした俺だが、行く当ても生活する金もない。
暫くは野宿することになるだろうが、たこ部屋に居た頃よりいくらか気は楽だ。
ここは自由だ、どうとでもなる。
そうして俺は、公園のベンチで眠りについた。